Sony Music Shop

管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/10/31 水曜日

「ティアドロップ探偵団」〜イモ欽トリオ

Filed under: イモ欽トリオ, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 0:22:44

「ティアドロップ探偵団」〜イモ欽トリオ 最高10位(ベストテン内4週ランクイン)

イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」に続く、2曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年4月22日に10位で初登場。
最高10位。
10位以内に4週。
20位以内に8週。
1982年の年間68位。

1982/04/08    17位
1982/04/15    12位
1982/04/22    10位
1982/04/29    10位
1982/05/06    10位
1982/05/13    10位
1982/05/20    12位
1982/05/27    17位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高6位(19.7万枚)
1982年の年間69位。

「ティアドロップ探偵団」は、イモ欽トリオの2曲目のシングル曲です。
前回に引き続き作詞は、松本隆さん。
作曲は、細野晴臣さんでした。

前回の「ハイスクールララバイ」以上にアクションが多く、凝りに凝った演出が見ものでした。
この「ティアドロップ探偵団」も、もちろんフジテレビの「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から生まれた曲です。
当時、まさか2曲目のシングルが発売されるとは思ってなく、「ハイスクールララバイ」1曲だけの企画物のイメージがありました。
前回、ザ・ベストテンにて、以降音楽番組への出演が無い趣旨の発言もありました。

せっかくイモ欽トリオとして人気を得ることが出来たので、この「ティアドロップ探偵団」は、ファンサービス、おまけな感じがしました。
大ヒットの予感もありましたが、ザ・ベストテンにて最高10位止まりで、やや残念!
ブームは去ってしまったのか?と思いました。
しかし、4週連続10位ということで、これも珍しい記録でしょう。

イモ欽トリオはその後、長江健次さんが大学受験の準備の為に一時芸能界を離れることに。
二代目フツオ役に後藤正さんが起用され、イモ欽トリオとして3曲目のシングル「ティーンエイジ・イーグルス」が1983年1月に発売されましたが、ベストテン入りならず。
しかし、萩本欽一さんの番組は益々人気に拍車がかかり、欽ちゃんファミリーとして次々に人気タレントを創出!
いろんなユニットやタレントさんがシングルを発表し、ザ・ベストテンにも登場しました。

テレビ朝日の「欽ちゃんのどこまでやるの」からは、高部知子さん(「めだかの兄妹」の時だけ)、倉沢淳美さん、高橋真美さんの3人によるユニット:わらべがブレイク!
1982年に「めだかの兄妹」、1984年に「もしも明日が・・・。」、1985年に「時計をとめて」 と3曲ザ・ベストテン入り。

細川たかしさんも当時欽ちゃんファミリーで、大ヒット曲「北酒場」は「欽どこ」から生まれたヒット曲でした。

TBS「欽ちゃんの週刊欽曜日」からは、風見慎吾さん(現:風見しんご)が、1983年に「僕笑っちゃいます」でベストテン入り!
1985年には「涙のtake a chance」が大ヒットし、ザ・ベストテンに登場します。

日本テレビ「欽きらリン530!!」から、1988年にCHA-CHAが「Begininng」でベストテン入り!
CHA-CHAは、木野正人さん、勝俣州和さん、松原桃太郎さん、 西尾拓美さん(西村知美さんの旦那さん)、中村亘利 さん(のちにジャニーズ・少年忍者)

イモ欽トリオは、欽ちゃんファミリー人気の先駆け的な存在でした。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


イエローマジック歌謡曲
Sony Music Direct
発売日:2005-02-23

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/29 月曜日

「ふられてBANZAI」〜近藤真彦

Filed under: 1位獲得曲, 近藤真彦, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:03:09

「ふられてBANZAI」〜近藤真彦 最高1位3週(ベストテン内12週)

近藤真彦さんの「情熱・熱風・せれなーで」に続く、6曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年4月15日に5位で初登場。
最高1位を3週。
10位以内に12週。
20位以内に13週。
1982年の年間9位。

1982/04/15     5位
1982/04/22     3位
1982/04/29     1位
1982/05/06     1位
1982/05/13     1位
1982/05/20     2位
1982/05/27     2位
1982/06/03     3位
1982/06/10     3位
1982/06/17     7位
1982/06/24     8位
1982/07/01    10位
1982/07/08    18位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(53.0万枚)
1982年の年間10位。

近藤真彦さんは、「ふられてBANZAI」でも1位を獲得し、大ヒットしました。
この頃の近藤真彦さんは、シングルを発表すれば必ずと言って良いほど1位でした。

この「ふられてBANZAI」は、近藤真彦さんらしい強気な曲。
ふられても何のその!
BANZAIは、やりすぎかもしれませんが!(笑)

今考えても凄いタイトルですが、作詞は松本隆さんです。
ルビーの指環」「ハイスクールララバイ」「赤いスィートピー」でお馴染みです。
わかるようなわからないような!
この時期の松本隆さんの作品は、大ヒットの連続で、80年代と言えばこの人ですね。
近藤真彦さんの曲にも多く作詞を手がけました。

この頃の近藤真彦さんは、向かうところ敵なし状態!
ザ・ベストテンでの強気な発言もピークを迎えていました。

サザンオールスターズには「随分落ちてきましたが(ベストテンのランキング)、怖くないですね!」
大橋純子さんには「大橋純子さんですか?怖くないですね!」

なかなか言えることじゃありません。
確かに大ヒット曲の連続で、実際怖くなかったのかも知れません。
当時17歳の近藤真彦さんでした。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


近藤真彦THE BEST
ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:1987-06-03
MATCHY BEST
ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2006-02-08

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/27 土曜日

「南十字星」〜西城秀樹

Filed under: 西城秀樹, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:06:28

「南十字星」〜西城秀樹 最高4位(ベストテン内7週ランクイン)

西城秀樹さんの「ジプシー」に続く、18曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年4月15日に10位で初登場。
最高4位。
10位以内に7週。
20位以内に11週。
1982年の年間38位。

1982/04/08    14位
1982/04/15    10位
1982/04/22     6位
1982/04/29     5位
1982/05/06     4位
1982/05/13     4位
1982/05/20     5位
1982/05/27     8位
1982/06/03    11位
1982/06/10    13位
1982/06/17    18位

オリコンチャートでは最高6位(22.9万枚)
1982年の年間55位。

この「南十字星」は、日豪合作映画「南十字星」 の主題歌でした。
どんな映画だったのかいまいち記憶に残ってませんが、戦争をテーマにした映画だったような気がします。
この曲は、映画主題歌として大ヒットしました。

「南十字星」は、谷村新司さんの「昴」を彷彿させる壮大なバラード曲です。
ザ・ベストテンのセットでも、星空をバックに歌う西城秀樹さんが印象に残ってます。
ちなみに「南十字星」は、南半球でしか見られない星座だったと思います。

この曲は、1982年の西城秀樹さんのシングルの中で、一番ヒットした曲でした。
ザ・ベストテンでは最高4位を記録し、西城秀樹さんの人気の底力を感じます。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ

HIDEKI 80’S
BMG JAPAN
発売日:1999-12-16

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/25 木曜日

「愛をください」〜河合奈保子

Filed under: 河合奈保子, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:49:55

「愛をください」〜河合奈保子 最高6位(ベストテン内5週ランクイン)

河合奈保子さんの「ラブレター」に続く、6曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年4月1日に9位で初登場。
最高6位。
10位以内に5週。
20位以内に8週。
1982年の年間54位。

1982/03/25    13位
1982/04/01     9位
1982/04/08     8位
1982/04/15     6位
1982/04/22     7位
1982/04/29     8位
1982/05/06    11位
1982/05/13    13位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高7位(17.7万枚)
1982年の年間81位。

この頃まで、河合奈保子さんは、コルセットを使用。
1981年の事故の記憶もこの頃は、すっかり過去のことの様な感じでした。

「愛をください」は、シリアスなラブソングでした。
河合奈保子さんにとって、大人びた曲です。
この様なシリアスな曲も、以降数多く歌うようになり、河合奈保子さんは大人へのシンガーとして成長することになります。

この頃から歌唱力も益々上達していった様な気がします。
元々、歌唱力の定評もありましたが、曲調が大人っぽくなるに連れて、期待に応えるように歌いこなしていく様な印象を受けます。
張りのあるビブラートも、河合奈保子さんのボーカルの魅力の秘訣です。

この1982年は、新人アイドル(82年組)も大勢デビューしますが、河合奈保子人気は全く衰えませんでした。
むしろ、ザ・ベストテンのランクイン週数は以前に比べ増えていきます。
安定した人気が、やはり河合奈保子さんには感じられました。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


河合奈保子・しんぐるこれくしょん
コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2006-12-06
河合奈保子 BOX シングル・コレクション Jewel Box〜Naoko Singles Collection
コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2001-09-29

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/24 水曜日

「色つきの女でいてくれよ」〜ザ・タイガース

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 沢田研二, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:07:48

「色つきの女でいてくれよ」〜ザ・タイガース 最高2位(ベストテン内10週ランクイン)

60年代のGSブームにて圧倒的な人気を誇ったザ・タイガースが復活し、ザ・ベストテンに初登場!
沢田研二さんも、ザ・タイガースとして登場!

1982年3月25日に10位で初登場。
最高2位。
10位以内に10週。
20位以内に12週。
1982年の年間19位。

1982/03/18    16位
1982/03/25    10位
1982/04/01     7位
1982/04/08     5位
1982/04/15     4位
1982/04/22     2位
1982/04/29     3位
1982/05/06     2位
1982/05/13     3位
1982/05/20     4位
1982/05/27     6位
1982/06/03    16位

オリコンチャートでは、最高4位(42.7万枚)
1982年の年間19位。

ザ・タイガースは、60年代後半にその時代の人気の頂点を極めたGS(グループサウンズ)バンド!
当時としてはアイドルバンド!
沢田研二さんは、ザ・タイガース時代から既にスターで人気者でした。
GSの中ではトップクラスの人気を誇り、伝説的なグループでした。

ザ・タイガースは、「僕のマリー」「シーサイドバウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」「シーシーシー」「廃虚の鳩」「青い鳥」「スマイル・フォー・ミー」とヒット曲も多数あります。
メンバーは、沢田研二さんの他に岸部修三(岸部一徳)さん、加橋かつみさん、森本太郎さん、瞳みのるさんでした。
後に加橋かつみさんが脱退し、岸部シローさんがメンバーに加わります。

ザ・タイガースは、1971年に解散し、1981年の暮れに再結成!
シングル「十年ロマンス」がザ・ベストテンに最高19位にランクインし、この「色つきの女でいてくれよ」で初のベストテン入りしました。
最高2位まで登り、この年を代表するヒット曲となりました。

「色つきの女でいてくれよ」は、コーセー化粧品の春のイメージソングとして、CMで多く流されました。
ザ・タイガースのメンバーもCM出演し話題に!

この曲では、メインボーカルを加橋かつみさんが担当し、沢田研二さんはサブボーカルでした。
再結成の際にドラムの瞳みのるさんが不参加だったことから、全員横並びの演奏形式を取り、全員でコーラスを担当。
パッと見た目、コーラスグループにも見えました。

この頃は、オールデイズやGSが再びリバイバル的に流行しました。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


ザ・タイガースのプロフィール

沢田研二(ジュリー) ボーカル
岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名)ベース
加橋かつみ(トッポ) ギター
森本太郎(タロー) ギター
瞳みのる(ピー)ドラム
岸部シロー(シロー)ギター、タンバリン

1967年、2月5日いシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と「モナリザの微笑」が大ヒットしブレイクする。
1968年、「君だけに愛を」「花の首飾り/銀河のロマンス」「シーシーシー」と次々に大ヒット曲を発表し、当時のトップGSバンドとなる。日本初のスタジアム・ライブとなるザ・タイガース・ショー〜真夏の夜の祭典を後楽園球場で開催。
1969年、加橋かつみがザ・タイガースを脱退し、新メンバーとして岸部シローが参加する。
1971年1月24日、日本武道館にて解散コンサートを開きタイガースは解散する。
1981年、「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・カーナビーツなどろ共にザ・タイガースも再結成し出演。ドラムスの瞳みのる以外のメンバーが結集した。11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発表。
1982年、「色つきの女でいてくれよ」が大ヒットし、2度目のブームが訪れる。
1989年、NHK紅白歌合戦に初出場し、「花の首飾り」「君だけに愛を」を演奏する。

ザ・タイガースエッセンシャル・ベスト
ユニバーサル ミュージック
発売日:2007-08-22

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

次のページ »

HTML convert time: 0.585 sec. Powered by WordPress ME