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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/9/30 日曜日

1981年ザ・ベストテン年間ランキング

Filed under: *年間ベストテン記録, 1981年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:03:22

ザ・ベストテン4年目の1981年。
1981年の1年間の間で、59曲がザ・ベストテンにランクインしました。

この年、ザ・ベストテンは9月17日の放送で、最高視聴率41.7%を記録しました。
この時の1位は、イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」でした。
1981年のザ・ベストテンもいろんなジャンルのヒット曲が登場し、今でもメジャーな大ヒット曲が多かったです。

ザ・ベストテンの1980年の年間トップ50は、以下の通り。
()内はオリコンの年間チャート。

01(01) 「ルビーの指環」〜寺尾聰
02(16) 「みちのくひとり旅」〜山本譲二
03(05) 「長い夜」〜松山千春
04(02) 「奥飛騨慕情」〜竜鉄也
05(04) 「ハイスクールララバイ」〜イモ欽トリオ
06(07) 「街角トワイライト」〜シャネルズ
07(11) 「ブルージーンズメモリー」〜近藤真彦
08(10) 「守ってあげたい」〜松任谷由実
09(03) 「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦
10(20) 「ヨコハマ・チーク」〜近藤真彦
11(14) 「夏の扉」〜松田聖子
12(21) 「ギンギラギンにさりげなく」〜近藤真彦
13(18) 「メモリーグラス」〜堀江淳
14(11) 「恋=Do!」〜田原俊彦
15(19) 「シャドー・シティ」〜寺尾聰
16(15) 「ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)」〜横浜銀蝿
17(09) 「チェリー・ブラッサム」〜松田聖子
18(42) 「シンデレラ・サマー」〜石川優子
19(24) 「ブギ浮ぎI LOVE YOU」〜田原俊彦
20(84) 「人生かくれんぼ」〜五木ひろし
21(33) 「まちぶせ」〜石川ひとみ
22(23) 「白いパラソル」〜松田聖子
23(29) 「ハリケーン」〜シャネルズ
24(82) 「港・ひとり唄」〜五木ひろし
25(51) 「お嫁サンバ」〜郷ひろみ
26(25) 「もしもピアノが弾けたなら」〜西田敏行
27(32) 「キッスは目にして!」〜ヴィーナス
28(45) 「すみれ色の涙」〜岩崎宏美
29(55) 「サヨナラ模様」〜伊藤敏博
30(27) 「サンセット・メモリー」〜杉村尚美
31(74) 「ス・ト・リ・ッ・パ・−」〜沢田研二
32(34) 「風立ちぬ」〜松田聖子
33(39) 「キミに決定!」〜田原俊彦
34(30) 「ペガサスの朝」〜五十嵐浩晃
35(35) 「悲しみ2ヤング」〜田原俊彦
36(43) 「少女人形」〜伊藤つかさ
37(63) 「渚のラブレター」〜沢田研二
38(26) 「万里の河」〜チャゲ&飛鳥
39(52) 「眠れぬ夜」〜西城秀樹
40(37) 「ロンリー・ハート」〜クリエーション
41(59) 「スマイル・フォー・ミー」〜河合奈保子
42(71) 「リトル・ガール」〜西城秀樹
43(38) 「春咲小紅」〜矢野顕子
44(28) 「恋のぼんちシート」〜ザ・ぼんち
45(47) 「出航 SASURAI」〜寺尾聰
46(48) 「グッドラックLOVE」〜田原俊彦 
47(44) 「羯徒毘路薫’狼琉」〜横浜銀蝿
48(22) 「ブランデーグラス」〜石原裕次郎 
49(85) 「E気持」〜沖田浩之
50(94) 「未完成」〜郷ひろみ

1981年を代表するヒット曲といったら、年間1位の寺尾聰さんの「ルビーの指環」でしょう。
12週連続1位といったザ・ベストテン至上最多1位記録を樹立!
寺尾聰さんは、10位以内に3曲同時ランクインも達成しました。

松山千春さんの「長い夜」もこの年を代表する名曲です。
松山千春さんは、この曲で2度目のザ・ベストテンに出演しました。

松任谷由実さんの「守ってあげたい」もこの年の大ヒット曲でした。
松任谷由実は、一度だけのザ・ベストテン出演でした。

イモ欽トリオの「ハイスクールララバイ」も1981年を代表する印象強い大ヒット曲です。
上にも書きましたが、最高視聴率を記録した回がこの曲の1位の回でした。

1981年は80年代アイドルの大活躍した年でした。
近藤真彦さんは、3曲が年間トップ10にランクされ、この年最も活躍したアイドルです。
松田聖子さんは、意外にも年間10位以内にランクしませんでしたが、「白いパラソル」では初登場1位を記録!
田原俊彦さんは、年間50位以内に5曲ランクイン!
河合奈保子さんもこの年にブレイク!
秋から暮れにかけて、伊藤つかささん、柏原よしえさん、松本伊代さん、薬師丸ひろ子さん達がザ・ベストテンに初登場し、いずれも大ヒット!

70年代アイドルの西城秀樹さんと郷ひろみさん、それから沢田研二さんも新しいアイドル達に押されながらも健闘しました。
他の70年代アイドルとしては、岩崎宏美さんも「すみれ色の涙」で久々にベストテン入り。
デビュー4年目で初のベストテン入りを果たした「まちぶせ」の石川ひとみさんの存在も大きいです。

演歌では、「みちのくひとり旅」の山本譲二さんが大健闘しました。
10位以内に1982年にかけて24週ランクインし、これもザ・ベストテン至上最多記録を樹立。

その他、一発屋と呼ばれるアーチスト達もたくさんのヒット曲がザ・ベストテンにランクイン!

1981年は、ザ・ベストテンの絶頂期でした。
いろんな記録を樹立したのがこの年!
テレビに滅多に出ないアーチストの出演、新旧アイドルの共演、バラエティ番組やドラマからのヒット曲!
当時のザ・ベストテンは、本当に面白かったです。

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/9/29 土曜日

「セーラー服と機関銃」〜薬師丸ひろ子

Filed under: 1位獲得曲, 1981年登場曲, 薬師丸ひろ子 — ベストテンマニア:K @ 23:46:49

「セーラー服と機関銃」〜薬師丸ひろ子 最高1位3週(ベストテン内11週ランクイン)

当時、映画女優のトップアイドルだった薬師丸ひろ子さんのザ・ベストテン初登場曲です。
映画「セーラー服と機関銃」も大ヒットを記録!

1981年12月17日に10位で初登場。
最高1位を3週。
10位以内に11週。
20位以内に15週。
1981年の年間50位圏外。
1982年の年間24位。

1981/12/10    11位
1981/12/17    10位
1981/12/24     2位
1982/01/07     3位
1982/01/14     1位
1982/01/21     1位
1982/01/28     1位
1982/02/04     2位
1982/02/11     3位
1982/02/18     4位
1982/02/25     8位
1982/03/04     8位
1982/03/11    14位
1982/03/18    19位
1982/03/25    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(86.5万枚)
1981年の年間100位圏外。
1982年の年間2位(83.5万枚)

薬師丸ひろ子さんは、映画女優として大活躍しました。
この頃の薬師丸ひろ子人気は特別でした。
音楽界のトップアイドルが松田聖子さんなら、映画界のトップアイドルは薬師丸ひろ子さんでした。

この「セーラー服と機関銃」は、御本人主演の映画で、当時社会現象的な人気でした。
監督は相米慎二さんで、角川映画の代表作です。
この映画では、高校生の主人公がヤクザの組長になり、セーラー服姿で機関銃をぶっ放すシーンが名シーンとして残ってます。
そのシーンでの台詞、「快感!」も大流行!

薬師丸ひろ子さんは、角川映画「野生の証明」で映画デビュー!
町田義人さんの「戦士の休息」が「野生の証明」主題歌でザ・ベストテンでもランクイン!
その後、角川映画「ねらわれた学園」での主演で大ブレイク!
この時の主題歌は松任谷由実さんの「守ってあげたい」でした。

この「セーラー服と機関銃」では、薬師丸ひろ子さん自身が主題歌を歌い、この曲で歌手デビューしました。
映画も公開と同時に大ヒットし、この主題歌も86.5万枚のセールスで大ヒットを記録しました。

ザ・ベストテンでは、初登場の1981年12月17日に生出演!
この「セーラー服と機関銃」では、一度だけのザ・ベストテン出演でした。
薬師丸ひろ子さんは、他のアイドルとの差別化(銀幕スターとして)を図ったのか、その後も1曲に付き1度〜2度程度のザ・ベストテンへ出演しました。

この「セーラー服と機関銃」で、薬師丸ひろ子さんは時代のトップスターとなりました。
ザ・ベストテンでは3週連続1位を獲得。
当時、高校2年生(17歳)でした。
透き通るような品格のある歌声も評判でした。

この曲の作詞は来生えつ子さんで、作曲が来生たかおさんでした。
「セーラー服と機関銃」が、このコンビの初のヒット曲でした。
来生たかおさんによる「セーラー服と機関銃」のセルフカバー曲「夢の途中」も大ヒットし、ザ・ベストテンにもランクインします。
この姉弟コンビは、その後大橋純子さんの「シルエットロマンス」、中森明菜さんの「セカンド・ラブ」等の名曲を世に送り込みます!

薬師丸ひろ子さんですが、この曲のヒット中に次年度の大学受験の為、芸能界の一切の仕事を休止を発表しました。
1年以上の休業とあって世間を驚かせました。
その休業中も人気は衰えることなく、1983年に映画「探偵物語」で女優業を復帰し、主題歌「探偵物語」も大ヒットしました。
現在も女優として健在!
最近では母親役が多くなってきました。

薬師丸ひろ子さんは「セーラー服と機関銃」以降、「探偵物語」「メイン・テーマ」「Woman〜Wの悲劇より」「あなたを・もっと・知りたくて」「ステキな恋の忘れ方」「紳士同盟」「時代」「語りつぐ愛に」と計9曲ザ・ベストテンにランクインしました。
自身主演の映画主題が多かったです。

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薬師丸ひろ子さんのプロフィール
1964年、6月9日生まれ。
1978年、角川映画「野性の証明」のオーディションに応募し、この映画で高倉健と共演で映画デビューを飾る。
1981年、主演映画「ねらわれた学園」が大ヒット。年末には主演映画「セーラー服と機関銃」の主題歌で歌手デビューし共に大ヒットする。
1982年、学業優先(進学の為)し芸能活動を休止。
1983年、主演映画「探偵物語」で復帰し、主題歌も大ヒットする。年末の主演映画「里見八犬伝」も大ヒットを記録。
1984年、主演映画「メインテーマ」「Wの悲劇」が大ヒット。「Wの悲劇」では各映画賞を受賞。
1985年、角川映画を離れ松竹映画「野蛮人のように」に主演。
1986年、主演映画「紳士同盟」がヒット。
1988年、山田洋二監督映画「ダウンタウンヒーローズ」に主演。
1991年、玉置浩二と結婚。
1998年、玉置浩二と離婚。
2006年、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞。

セーラー服と機関銃
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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/9/27 木曜日

「センチメンタル・ジャーニー」〜松本伊代

Filed under: 1981年登場曲, 松本伊代 — ベストテンマニア:K @ 23:27:44

「センチメンタル・ジャーニー」〜松本伊代 最高6位(ベストテン内5週ランクイン)

1982年組アイドルの先駆者的存在の松本伊代さんのザ・ベストテン初登場曲です。
この「センチメンタル・ジャーニー」が松本伊代さんのデビュー曲です。

1981年12月10日に6位で初登場。
最高6位。
10位以内に5週。
20位以内に13週。
1981年の年間50位圏外。
1982年の年間79位。

1981/11/12    18位
1981/11/19    15位
1981/11/26    15位
1981/12/03    11位
1981/12/10     6位
1981/12/17     6位
1981/12/24     7位
1982/01/07     6位
1982/01/14     8位
1982/01/21    11位
1982/01/28    11位
1982/02/04    15位
1982/02/11    17位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高9位(34.3万枚)
1981年の年間100位圏外。
1982年の年間53位(24.0万枚)

「センチメンタル・ジャーニー」は、1981年10月21日に発売し、松本伊代さんはこのデビュー曲でいきなり大ヒットし、ザ・ベストテンに初登場!
同年たのきんトリオの人気番組「たのきん全力投球」でデビュー!
「センチメンタル・ジャーニー」のレコードデビュー前からCM等でその存在をアピール!
当時、大型新人アイドルでした。

「伊代はまだ、16だから〜」通り、松本伊代さんは当時16歳でした。
同時期に大ヒットしてた「ハロー・グッバイ」の柏原よしえ(芳恵)さんと堀越学園の同級生で、10位以内にランクインする前にふたり揃ってスポットライトコーナーに出演。
松本伊代さんと柏原よしえ(芳恵)さんは当時ライバル的な関係で、ふたりの番組「ピンキーパンチ大逆転」でも共演したこともあります。
(実は仲は良くなかった!との松本伊代さんからの発言もありましたが)

松本伊代さんは1981年のデビューですが、各音楽祭の新人賞では翌1982年に入り、1982年組アイドルとして扱われてます。
1982年組アイドルでは、筆頭株的な存在です。
1982年組で他にザ・ベストテンに登場したアイドルは、シブがき隊中森明菜さん、小泉今日子さん、堀ちえみさん、石川秀美さん、早見優さん達大勢がが居ます。
ザ・ベストテンには入らなかったものの新井薫子さん、北原佐和子さん、三田寛子さんも当時人気ありました。

松本伊代さんは、82年組の新人アイドルの中でも当時から別格扱いでした。
デビューが他のアイドル歌手よりも早かったことと、「センチメンタル・ジャーニー」の大ヒットの影響でしょう!
いろんな音楽祭の新人賞では、他のアイドル達がノミネートだけでも感激している時に松本伊代さんだけは落ち着いた印象でした。
しかし、他の82年組が大活躍する1983年にはヒット曲にやや陰りを見せ始め、追い抜かれてしまった印象もあります。

松本伊代さんは、意外なことに紅白歌合戦に一度も出場してません。
1982年の紅白歌合戦では柏原よしえ(芳恵)さんと共に当確だと思われていたのに落選!
その後も他の82年組アイドル達が次々と紅白に出場するものの、松本伊代さんだけが紅白歌合戦と縁が無く、当時本人も一度だけで良いから出場したい!とコメントされてました。

松本伊代さんは、「センチメンタル・ジャーニー」以降、「ラブ・ミー・テンダー」「TVの国からキラキラ」「抱きしめたい」「時に愛は」「恋のKNOW-HOW」の計6曲がザ・ベストテンにランクインしました。
ベストテンには入らなかったものの他に「オトナじゃないの」(最高12位)、「チャイニーズ・キッス」(最高13位)、「太陽がいっぱい」(最高14位)、「恋のバイオリズム」(最高14位)、「ビリーブ」(最高11位)、「信じ方を教えて」(最高18位)等のヒット曲もあります。

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松本伊代さんのプロフィール
本名:小園伊代
1965年、6月21日生まれ。
1981年、TBS「たのきん全力投球」の田原俊彦の妹役でデビュー。10月21日「センチメンタル・ジャーニー」で歌手デビューし大ヒットする。
1982年、レコード大賞をはじめ新人賞を受賞。
1983年、レコード大賞ゴールデンアイドル賞受賞。尾崎亜美作詞作曲「時に愛は」がヒット。
1985年、五社英雄監督映画「薄化粧」でスクリーンデビューする。
1986年〜87年、シングル恋愛三部作の「信じかたを教えて」「サヨナラは私のために」「思い出をきれいにしないで」が好評を得る。
その他「オールナイトフジ」のパーソナリティ等バラエティでも活躍する。
1993年、B21スペシャルのヒロミと結婚、その後2男の母となる。
2005年、早見優・堀ちえみとともにママドルユニット「キューティー★マミー」を結成。

松本伊代 Best Selection
ビクターエンタテインメント
発売日:2005-03-24
松本伊代 BOX
ビクターエンタテインメント
発売日:2004-03-24

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/9/26 水曜日

「ジェームス・ディーンのように」〜Johnny

Filed under: 1981年登場曲, 横浜銀蠅, Johnny — ベストテンマニア:K @ 22:53:03

「ジェームス・ディーンのように」〜Johnny 最高2位(ベストテン内9週ランクイン)

横浜銀蝿のメンバーJohnny(ジョニー)さんの初のソロとしてのザ・ベストテン登場曲です。
Johnnyさんはソロとしても、この頃大活躍しました。

1981年12月10日に10位で初登場。
最高2位。
10位以内に9週。
20位以内に12週。
1981年の年間50位圏外。
1982年の年間51位。

1981/12/03    16位
1981/12/10    10位
1981/12/17     3位
1981/12/24     3位
1982/01/07     2位
1982/01/14     2位
1982/01/21     2位
1982/01/28     3位
1982/02/04     3位
1982/02/11     7位
1982/02/18    11位
1982/02/25    20位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高3位(50.2万枚)
1981年の年間100位圏外。
1982年の年間16位(46.1万枚)

Johnnyさんは、横浜銀蝿ではギターを担当!
メンバーの中では、硬派なタイプで大人しい印象です。
その硬派なイメージとアイドル的なルックス(サングラスしてましたが!)で、メンバーの中では一番の人気者でした。

ソロ第一弾シングルとして「ジェームス・ディーンのように」が当時大ヒット!
ザ・ベストテンでも最高2位までランクを上げ、ほぼ毎週出演しました。

この「ジェームス・ディーンのように」は、TBSドラマ「茜さんのお弁当」の主題歌でした。
このドラマでは、横浜銀蠅ファミリーの嶋大輔さんや紅麗威甦のメンバーも俳優として出演。
当時、紅麗威甦のメンバーだった杉本哲太さんは、俳優としての初のドラマ出演でした。

Johnnyさんは、「ジェームス・ディーンのように」と1982年に「$百萬BABY」も大ヒットし、計2曲ザ・ベストテンにランクイン!
1983年には「みにくいアヒルの子」をソロシングルとして発表し、ザ・ベストテンでは最高20位でした。

Johnnyさんは、横浜銀蝿解散以降、ディレクター、プロデューサーとしてサポート役に徹するようになります。
ディレクターとして中山美穂さんを手がけました。
その後、横浜銀蝿再結成の際には、メンバーに加わりませんでした。
(いろいろと事情があるのでしょう!)

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Johnnyさんのプロフィール
本名:浅沼正人
1958年、5月9日生まれ。
1979年、横浜銀蝿結成と共に参加。
1981年、横浜銀蝿のブレイクと共にソロでも活躍。ソロシングル「ジェームス・ディーンのように」が大ヒットする。
1982年、そろ第二段シングル「$百萬BABY」がオリコン1位を獲得。
1983年、横浜銀蝿解散後、ソロとして活動する。
1988年、キングレコードの社員となり、中山美穂、的場浩司らをディレクターとして手掛ける。
2002年、ベルウッドレコードのプロデューサーとして活動する。

T.C.R.横浜銀蠅R.Sコンプリートボックス 完

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/9/25 火曜日

「ハロー・グッバイ」〜柏原よしえ

Filed under: 1981年登場曲, 柏原よしえ(芳恵) — ベストテンマニア:K @ 23:36:02

「ハロー・グッバイ」〜柏原よしえ 最高4位(ベストテン内8週ランクイン)

80年アイドル柏原芳恵さんのザ・ベストテン初登場です。
「ハロー・グッバイ」の頃は、柏原よしえという平仮名の名前でした。

1981年12月3日に7位で初登場。
最高4位。
10位以内に8週。
20位以内に13週。
1981年の年間50位圏外。
1982年の年間74位。

1981/11/12    17位
1981/11/19    14位
1981/11/26    12位
1981/12/03     7位
1981/12/10     9位
1981/12/17     8位
1981/12/24     5位
1982/01/07     4位
1982/01/14     6位
1982/01/21     8位
1982/01/28     9位
1982/02/04    13位
1982/02/11    18位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高6位(38.2万枚)
1981年の年間100位圏外。
1982年の年間45位(27.5万枚)

柏原よしえ(芳恵)さんは、この「ハロー・グッバイ」が初めての大ヒット曲です。
スター誕生でグランドチャンピオンに輝いた後、1980年の6月に「No.1」でレコードデビュー!
田原俊彦さん、岩崎良美さん、松田聖子さん、河合奈保子さん達と同期で80年組アイドルの1人です。

歌手としてだけでなく、デビュー当時からグラビアアイドルとして活躍!
水着系のアイドル写真も多かったです。

柏原よしえ(芳恵)さんは、デビュー後なかなか大きなヒットに恵まれず苦戦をしてました。
テレビの歌謡番組にはデビュー当時から積極的に出演し、デビュー曲の「No.1」やCMソングの「第二章くちづけ」、「ガラスの夏」等、印象に残る曲もありましたが、ザ・ベストテンにて20位にもランクせず!
この「ハロー・グッパイ」がヒットしなければ、芸能界から引退するところだったとか!

そして「ハロー・グッバイ」が大ヒットし、他の80年組アイドル達に遅れて1981年の12月にやっとザ・ベストテンにこの曲で登場!
この曲のヒット以降、ザ・ベストテンに次々とヒット曲をランクインさせ80年代に大活躍しました。

「ハロー・グッバイ」は元々カバー曲で、アグネス・チャンのシングルB面の曲でした。
この頃、リバイバルブームと言うか、カバーブームでもありました。

「紅茶の美味しい喫茶店、白いお皿にグッパイ、バイ、バイ」

覚えやすい歌詞とメロディで、今でもカラオケ定番ソングです。
この曲も名曲と言われ、柏原よしえ(芳恵)さんの代表曲です。
レコードセールスでは、柏原よしえ(芳恵)さんのトップセールス曲でした。

ザ・ベストテンでは、200回記念スペシャルの時に7位で初登場しました。
丁度、ベストテン至上99人目のランクイン歌手だったそうです。
この時、柏原よしえ(芳恵)さんは、正月番組の直後の出演で着物で登場しました。
その他、この曲の時にスケートリンクからの中継で、歌っている最中大声をあげて転んだこともあります。

この曲のヒットで、1981年のレコード大賞ゴールデンアイドル賞に滑り込みセーフ。
柏原よしえ(芳恵)さんは、意外とレコード大賞では同期の80年組の中では一番多く出演しました。
1982年「花梨」、1983年「春なのに」、1984年「最愛」と3年連続金賞受賞。
1985年〜1987年まで3年連続最優秀歌唱賞候補として出演し7年連続レコード大賞に出演。

しかし、意外と紅白歌合戦では苦戦しました。
有力候補だった翌1982年に落選し、1983年にやっと初出場。
1984年では意外の落選、1985年にカムバック!
計2回しか出場してません。
紅白歌合戦よりもレコード大賞の出演経験が多い人って柏原よしえ(芳恵)さんくらいかもしれません。

柏原よしえ(芳恵)さんは、「ハロー・グッバイ」以降、「恋人たちのキャフェテラス」「渚のシンデレラ」「あの場所から」「花梨」「春なのに」「ちょっとなら媚薬」「夏模様」「タイニー・メモリー」「カム・フラージュ」「ト・レ・モ・ロ」「最愛」「ロンリー・カナリア」「待ちくたびれてヨコハマ」と計14曲がザ・ベストテンにランクインしました。

柏原よしえ(芳恵)さんは、中島みゆき谷村新司松山千春等、ニューミュージック系のアーチストからの提供曲が多かったです。

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柏原よしえ(芳恵)さんのプロフィール
本名:柏原芳恵(かしわらよしえ)
1965年、10月1日生まれ。
1979年、スター誕生にてグランドチャンピオンに輝く。
1980年、6月1日シングル「No.1」でレコードデビュー。
1981年、7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒットする。レコード大賞ゴールデンアイドル賞受賞。
1982年、10月に柏原よしえから柏原芳恵に改名する。谷村新司作詞作曲「花梨」でレコード大賞金賞受賞。
1983年、中島みゆき作詞作曲「春なのに」が大ヒット。全曲中島みゆき作品をカバーしたアルバム「春なのに」が話題になる。レコード大賞金賞受賞。紅白歌合戦に初出場。
1984年、中島みゆき作詞作曲「最愛」でレコード大賞金賞受賞。惜しくも紅白歌合戦に落選し話題となる。
1985年、アルフィーの高見沢俊彦作詞作曲「し・の・び・愛」でレコード大賞最優秀歌唱賞候補に選ばれる。(以降3年連続)。紅白歌合戦に再出場する。
1986年、リサイタルに柏原芳恵ファンだった徳仁親王(浩宮、現・皇太子)が来場し話題になる。
1987年、ドラマ「アリエスの乙女たち」の主題歌「A・r・i・e・s」がヒットする。
1990年以降、写真集や映像作品でも大活躍。
2006年、5月24日には16年ぶりとなるシングル「MaMa」を発表。
2007年、カバーアルバム「encore」を発売する。

ゴールデン☆ベスト
ユニバーサル インターナショナル
発売日:2003-11-26
柏原芳恵 プレミアムBOX
ユニバーサルミュージック
発売日:2004-03-10

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

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