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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/12/23 日曜日

「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」〜沢田研二

Filed under: 沢田研二, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:40:21

「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」〜沢田研二 最高3位(ベストテン内8週ランクイン)

沢田研二さんの「おまえにチェックイン」に続く、15曲目のザ・ベストテン登場曲です。
この「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」が沢田研二さんに取って最後のベストテンランクイン曲でした。

1982年9月30日に8位で初登場。
最高3位。
10位以内に8週。
20位以内に12週。
1982年の年間29位。

1982/09/23    17位
1982/09/30     8位
1982/10/07     3位
1982/10/14     3位
1982/10/21     5位
1982/10/28     5位
1982/11/04     6位
1982/11/11     8位
1982/11/18     8位
1982/11/25    12位
1982/12/02    13位
1982/12/09    14位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では最高6位(25.6万枚)
1982年の年間57位(21.8万枚)

沢田研二さんのザ・ベストテン最後の曲が「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
今となっては意外と言うか、当時はまだベストテンに当分ジュリーがランクインされると漠然と思ってました。

最高3位までランクを上げ、ヒットと呼べる数字でした。
ジュちーはこの曲では、厚化粧でSF的なメイク!
ミステリアスな詞と曲!
オカルト的なサウンド!
イントロの呪文の様なボーカルが何を言ってるのかも当時番組内で話題になりました。
当時のニューウェイブをイメージさせ、いつも時代を先取りする沢田研二さんらしい曲でした。

この年のレコード大賞と紅白歌合戦は、この「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」で登場!
沢田研二さんに取って、最後のヒット曲でもありました。

その後は、1983年に井上陽水作詞作曲「背中まで45分」が最高15位。
大沢誉志幸作曲「晴れのちBLUE BOY」が最高12位。
「きめてやる今夜」が最高15位。
1984年に「どん底」が最高13位。
1985年に「灰とダイヤモンド」が最高20位。

その他「渡り鳥はぐれ鳥」「AMAPOLA」「アリフ・ライフ・ウィ・ライラ」「女神」(スポットライトに登場)
「CHANCE」「ポラロイドGIRL」「DOWN」「HELLO」などのシングル曲を発表します。

沢田研二さんは1985年に事務所を独立し、その頃からテレビにはあまり登場しなくなりました。
しかし、今でもライブ活動を中心に活躍しています。

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2007/11/13 火曜日

「おまえにチェックイン」〜沢田研二

Filed under: 沢田研二, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:52:47

「おまえにチェックイン」〜沢田研二 最高2位(ベストテン内10週ランクイン)

沢田研二さんの「麗人」に続く、14曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年5月27日に10位で初登場。
最高2位。
10位以内に10週。
20位以内に13週。
1982年の年間18位。

1982/05/27    10位
1982/06/03     5位
1982/06/10     5位
1982/06/17     4位
1982/06/24     4位
1982/07/01     3位
1982/07/08     2位
1982/07/15     2位
1982/07/22     4位
1982/07/29     4位
1982/08/05    11位
1982/08/12    16位
1982/08/19    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高8位(27.4万枚)
1982年の年間46位。

沢田研二さんは、ザ・タイガースの「色つきの女でいてくれよ」と同時にソロでもランクイン!
この「おまえにチェックイン」もヒットし、最高2位を記録!
10週間ベストテン入りし、この年のジュリーの一番のヒット曲です。
シングルセールスの27.4万枚は印象として少ない感じがします。

この曲では、インデアン(差別用語?)、ネイティブアメリカンのスタイル!
羽を彼方此方につけて弾みながら踊って歌う「おまえにチェックイン」でした。
そのスタイルがまたジュリーらしくかっこ良かったです。

沢田研二さんには珍しいかもしれませんが、圏外からのランクインでした。
これは、「恋のバッド・チューニング」に続く2曲目です。
80年代のアイドル歌手達は、圏外からのランクインが多かったのですが、70年代アイドル達は滅多に無かった印象です。
沢田研二さんも、20位〜11位に1〜多い時で3週程留まり、それから10位圏内にランクインすることが多かったです。
ファンとしては、じれったいので、いきなりランクインは嬉しかったのでは?

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2007/10/24 水曜日

「色つきの女でいてくれよ」〜ザ・タイガース

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 沢田研二, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:07:48

「色つきの女でいてくれよ」〜ザ・タイガース 最高2位(ベストテン内10週ランクイン)

60年代のGSブームにて圧倒的な人気を誇ったザ・タイガースが復活し、ザ・ベストテンに初登場!
沢田研二さんも、ザ・タイガースとして登場!

1982年3月25日に10位で初登場。
最高2位。
10位以内に10週。
20位以内に12週。
1982年の年間19位。

1982/03/18    16位
1982/03/25    10位
1982/04/01     7位
1982/04/08     5位
1982/04/15     4位
1982/04/22     2位
1982/04/29     3位
1982/05/06     2位
1982/05/13     3位
1982/05/20     4位
1982/05/27     6位
1982/06/03    16位

オリコンチャートでは、最高4位(42.7万枚)
1982年の年間19位。

ザ・タイガースは、60年代後半にその時代の人気の頂点を極めたGS(グループサウンズ)バンド!
当時としてはアイドルバンド!
沢田研二さんは、ザ・タイガース時代から既にスターで人気者でした。
GSの中ではトップクラスの人気を誇り、伝説的なグループでした。

ザ・タイガースは、「僕のマリー」「シーサイドバウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」「シーシーシー」「廃虚の鳩」「青い鳥」「スマイル・フォー・ミー」とヒット曲も多数あります。
メンバーは、沢田研二さんの他に岸部修三(岸部一徳)さん、加橋かつみさん、森本太郎さん、瞳みのるさんでした。
後に加橋かつみさんが脱退し、岸部シローさんがメンバーに加わります。

ザ・タイガースは、1971年に解散し、1981年の暮れに再結成!
シングル「十年ロマンス」がザ・ベストテンに最高19位にランクインし、この「色つきの女でいてくれよ」で初のベストテン入りしました。
最高2位まで登り、この年を代表するヒット曲となりました。

「色つきの女でいてくれよ」は、コーセー化粧品の春のイメージソングとして、CMで多く流されました。
ザ・タイガースのメンバーもCM出演し話題に!

この曲では、メインボーカルを加橋かつみさんが担当し、沢田研二さんはサブボーカルでした。
再結成の際にドラムの瞳みのるさんが不参加だったことから、全員横並びの演奏形式を取り、全員でコーラスを担当。
パッと見た目、コーラスグループにも見えました。

この頃は、オールデイズやGSが再びリバイバル的に流行しました。

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ザ・タイガースのプロフィール

沢田研二(ジュリー) ボーカル
岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名)ベース
加橋かつみ(トッポ) ギター
森本太郎(タロー) ギター
瞳みのる(ピー)ドラム
岸部シロー(シロー)ギター、タンバリン

1967年、2月5日いシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と「モナリザの微笑」が大ヒットしブレイクする。
1968年、「君だけに愛を」「花の首飾り/銀河のロマンス」「シーシーシー」と次々に大ヒット曲を発表し、当時のトップGSバンドとなる。日本初のスタジアム・ライブとなるザ・タイガース・ショー〜真夏の夜の祭典を後楽園球場で開催。
1969年、加橋かつみがザ・タイガースを脱退し、新メンバーとして岸部シローが参加する。
1971年1月24日、日本武道館にて解散コンサートを開きタイガースは解散する。
1981年、「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・カーナビーツなどろ共にザ・タイガースも再結成し出演。ドラムスの瞳みのる以外のメンバーが結集した。11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発表。
1982年、「色つきの女でいてくれよ」が大ヒットし、2度目のブームが訪れる。
1989年、NHK紅白歌合戦に初出場し、「花の首飾り」「君だけに愛を」を演奏する。

ザ・タイガースエッセンシャル・ベスト
ユニバーサル ミュージック
発売日:2007-08-22

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2007/10/8 月曜日

「麗人」〜沢田研二

Filed under: 沢田研二, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:01:35

「麗人」〜沢田研二 最高6位(ベストテン内7週ランクイン)

沢田研二さんの「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」に続く、13曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年2月4日に9位で初登場。
最高6位。
10位以内に7週。
20位以内に10週。
1982年の年間41位。

1982/01/28    16位
1982/02/04     9位
1982/02/11     6位
1982/02/18     6位
1982/02/25     6位
1982/03/04     7位
1982/03/11     8位
1982/03/18     9位
1982/03/25    11位
1982/04/01    16位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高10位(22.0万枚)
1982年の年間56位。

沢田研二さんにとって「麗人」は、1982年最初のシングル曲です。
1982年に出したシングルは、全てベストテン入りさせ、その息の長い人気ぶりを世間に見せ付けました。

沢田研二さんはこの曲では、中世を思わせるエキゾチックな装いでした。
付け髪(三つ編み)も印象的でした。

「麗人」の曲調も中世のヨーロッパか中近東を思わせるエキゾチックな雰囲気がありました。
なんとなく「ベルサイユの薔薇」をイメージさせますが!
沢田研二さんのイメージにピッタリはまる曲でした。

今となっては、沢田研二さんの曲の中では目立たない1曲かもしれません。
しかし、魅力あるジュリーの逸品でしょう!

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2007/9/20 木曜日

「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」〜沢田研二

Filed under: 沢田研二, 1981年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:19:42

「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」〜沢田研二 最高2位(ベストテン内11週ランクイン)

沢田研二さんの「渚のラブレター」に続く、12曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1981年10月29日に9位で初登場。
最高2位。
10位以内に11週。
20位以内に15週。
1981年の年間31位。

1981/10/15    17位
1981/10/22    12位
1981/10/29     9位
1981/11/05     7位
1981/11/12     7位
1981/11/19     4位
1981/11/26     4位
1981/12/03     5位
1981/12/10     2位
1981/12/17     2位
1981/12/24     8位
1982/01/07     7位
1982/01/14     9位
1982/01/21    16位
1982/01/28    20位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高6位(36.4万枚)
1981年の年間74位(19.1万枚)
1982年の年間84位(17.2万枚)

この「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」が、沢田研二さんにとって1980年代に入り最もヒットした曲です。
ザ・ベストテンでは最高2位まで登り、11週連続ランクイン!

80年代アイドル達に混じっても、ビクともしない人気振りを魅せ付けました。
「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」は、今でもGS世代〜団塊ジュニア世代のカラオケ愛用歌とか!

ハードロックのイメージでスピード感ある曲でした。
ロカビリーと言った方が合ってるでしょう。
ジュリー(沢田研二さん)はとにかくかっこ良かった!

この曲での沢田研二さんは、とにかく派手!
化粧もバッチリ決めて、艶やかでした。

この「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」というタイトルも当時話題に!
このタイトルで当時、紅白歌合戦に出場!

特に歌詞が過激!

「朝でも、夜でも、真昼でも、恋はストリッパー、裸のふれあい」

誰が作詞だったんだろう?と調べたら三浦徳子さんでした。
意外にも松田聖子さんのデビュー曲の「裸足の季節」から「夏の扉」までと同じ方でした。

作曲は沢田研二さんご本人でした。
この頃、御自分で作曲したシングル曲で大活躍してました。

沢田研二さんは、タイガースの60年代から活躍し、この80年代でもヒットを出す等、この頃は無くてはならない存在でした。
ジュリーの変わりは不在!とその健在振りを感じさせました。

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STRIPPER
ユニバーサルミュージック
発売日:2005-03-30


沢田研二
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