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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/10/15 月曜日

「すずめ」〜増田けい子

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, ピンクレディー, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:11:13

「すずめ」〜増田けい子 最高9位(ベストテン内4週ランクイン)

ピンク・レディーのケイこと増田けい子(現・増田恵子)さんのソロでのザ・ベストテン初登場です。
この「すずめ」が増田けい子さんにとってソロデビュー第一弾シングルでした。

1982年2月18日に9位で初登場。
最高9位。
10位以内に4週。
20位以内に12週。
1982年の年間43位。

1982/01/14    20位
1982/01/21    19位
1982/01/28    18位
1982/02/04    16位
1982/02/11    14位
1982/02/18     9位
1982/02/25     9位
1982/03/04    10位
1982/03/11    10位
1982/03/18    12位
1982/03/25    14位
1982/04/01    17位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高9位(26.7万枚)
1982年の年間47位。

増田けい子さんは、1976年から1981年までピンク・レディーとして大活躍!
ザ・ベストテンでは「UFO」で初回の第1位を飾りました。
ピンク・レディー解散直前にこのザ・ベストテンのスポットライトコーナーに出演し、増田けい子さんはそれ以来のザ・ベストテン登場となります。

そのピンク・レディーのイメージを完全に拭い去り、解散後、ソロシンガーとしてこの「すずめ」を1981年11月28日にリリースしました。
この「すずめ」は中島みゆきさんの作詞作曲でした。
ピンク・レディーと中島みゆき!
全くかけ離れたイメージがあります。
共通点は、どちらもザ・ベストテンの第1回目にランクインされたことくらいです。
この曲は、中島みゆきさんもその後アルバム「御色なおし」の中でセルフカバーされました。

この「すずめ」がベストテン入りしたのは1982年2月18日。
前年の1981年11月28日に発売以降、じわじわチャートを登り大ヒットに至りました。

ヒットの要因は、ピンク・レディーのケイちゃんのイメージチェンジと中島みゆき楽曲にあると思います。
イメージの逆転がうまく成功したのだと思います。

「すずめ」は、増田けい子さん唯一のソロシングルでのベストテンヒットでした。
増田けい子さんは、その後1982年に松任谷由実作詞作曲「ためらい」をカバー。
その他、竹内まりや作詞作曲「らせん階段」、1984年にはサザンオールスターズの桑田佳祐作詞作曲「女優」と話題曲を発表しました。

もう1人のピンク・レディーもミーさんも、1981年にMIEとして「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー。
1984年に「NEVER」が大ヒットし、ザ・ベストテンに登場します。

ピンク・レディーは二人ともソロとしてヒット曲を持ち、ザ・ベストテンに登場しました。

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増田けい子(恵子)さんのプロフィール
本名:桑木啓子
1957年、9月2日生まれ。
1976年、「スター誕生!」にて合格し、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。
1977年、「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」と立て続けに大ヒットを記録し、紅白歌合戦に初出場。
1978年、「UFO」でレコード大賞受賞。「サウスポー」で歌謡大賞を受賞。「モンスター」で5曲連続ミリオンセラーを記録。
1979年、渡米し、ピンク・レディーとして全米デビューを果たす。
1981年、ピンク・レディーを解散。11月の「すずめ」でソロデビューする。
1982年、「すずめ」が大ヒットする。その他、映画やテレビドラマで女優としても活動する。
1984年、期間限定でピンク・レディーを再結成する。
1989年、1990年、2000年、ピンク・レディーとして紅白歌合戦に出場。
1990年、Kéiとしてフランスでも歌手デビューを果たす。
2003年〜2005年、本格的にピンク・レディーとして全国ツアーを行う。
2005年、12月7日にはソロとしては15年ぶりに新曲「奇蹟の花」をリリースする。

究極のベスト! 増田恵子
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発売日:2005-07-27
奇蹟の花
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発売日:2005-12-07

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/3/24 土曜日

「波乗りパイレーツ」〜ピンク・レディー

Filed under: ピンクレディー, 1979年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 20:37:44

「波乗りパイレーツ」〜ピンク・レディー 最高7位(ベストテン内6週ランクイン)

ピンク・レディーの「ピンク・タイフーン」に続く、8曲目のザ・ベストテン登場曲です。
この「波乗りパイレーツ」が、ピンク・レディーにとって、ベストテン最後のランクイン曲でした。

1979年7月26日に圏外からいきなり9位で初登場。
翌週11位に落ち、2週後の8月16日に再びベストテン内に返り咲きました。
最高が7位。
10位内に6週。
20位以内に9週ランクイン。
ザ・ベストテンの1979年の年間49位でした。

1979/07/26     9位
1979/08/02    11位
1979/08/09    11位
1979/08/16     8位
1979/08/23     7位
1979/08/30     7位
1979/09/06     9位
1979/09/13     8位
1979/09/20    15位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高4位(24.2万枚)で、年間52位でした。
オリコンでも、この「波乗りパイレーツ」が、ピンクレディーの最後のトップテンヒット曲でした。

「波乗りパイレーツ」は、夏をイメージした曲でした。
ザ・ベストテンでは、熱帯魚が出てきたり、常夏をイメージさせたセットが多かったです。
ヒラヒラしたハワイアンな衣装だった記憶があります。
この曲のB面はビーチボーイズのコーラス入りのUSAバージョンです。
こちらも当時評判でした。

ピンク・レディーは、次に全米発売し、ビルボードで最高37位までチャートをあげた英語詞「キッス・イン・ザ・ダーク」と通常シングルの「マンデー・モナリザ・クラブ」の2曲をほぼ同時に発表します。
ビルボードランクインの「キッス・イン・ザ・ダーク」が、意外とベストテンでは20位圏内に届かず。
「マンデー・モナリザ・クラブ」の方は、最高14位でした。

その後「DO YOUR BEST」「愛・GIRI GIRI」「世界英雄史」「うたかた」「リメンバー」「ラスト・プリテンダー」「OH!」とシングルを出しますが、いずれも大きなヒットにはなりませんでした。
曲調も大人っぽい曲へと変化し、楽曲的には評価は高いと思いますが、かなりマイノリティな人気でした。

ザ・ベストテンでは、1980年の3月にラストシングル「OH!」で、スポットライトコーナーに出演。
ピンクレディーは、1980年4月、後楽園球場(現東京ドーム)にて最後のコンサートを開き、解散しました。

解散後は、それぞれソロとして活動し、その後それぞれソロ曲でベストテンに登場しました。
ケイこと増田恵子さんは、1982年に中島みゆき作「すずめ」が、最高9位。
ミーことMIEさんは、1984年に「NEVER」が最高3位。
MIEさんの「NEVER」のヒット中の1984年にピンク・レディーは一度再結成し、「不思議LOVE」でザ・ベストテンのスポットライトコーナーに出演しました。

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2007/3/12 月曜日

「ピンク・タイフーン」〜ピンク・レディー

Filed under: ピンクレディー, 1979年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:15:31

「ピンク・タイフーン」〜ピンク・レディー 最高6位(ベストテン内6週ランクイン)

ピンク・レディーの「ジパング」に続くザ・ベストテン7曲目の登場曲。
この「ピンク・タイフーン」は、ヴィレッジ・ピープルの「In The Navy」のカバー曲です。
西城秀樹さんの「ヤングマン(Y.M.C.A)
」と同じアーチストの曲です。
この曲で、初めて阿久悠・都倉俊一コンビ作から離れました。

1979年6月7日に8位で、ザ・ベストテンに登場。
最高6位で、6週ベストテンにランクインしました。
20位以内では、10週ランクしました。
1979年のザ・ベストテン年間45位でした。

1979/05/24    13位
1979/05/31    11位
1979/06/07     8位
1979/06/14     7位
1979/06/21     6位
1979/06/28     7位
1979/07/05     8位
1979/07/12     6位
1979/07/19    11位
1979/07/26    18位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高6位(29.8万枚)で、年間44位でした。
前曲の「ジパング」で急激にセールスを落としましたが、この「ピンク・タイフーン」では若干売り上げを戻しました。
それまでのピンク・レディーのセールスが、ある意味尋常では無かったとも思います。
阿久悠・都倉俊一コンビ作から一旦離れたことと、前回の「ジパング」から2ヶ月で新曲を出したり、試行錯誤が見られます。

当時、ピンク・レディーファンからは、この「ピンク・タイフーン」は賛否両論でした。
当時、元歌のヴィレッジ・ピープルの「In The Navy」がヒットしてたことで、ピンク・レディーのオリジナルでは無かったことが要因だと思います。
個人的には、当時「ピンク・タイフーン」のシングルレコードを買ったりして、好きでした。

ザ・ベストテンでは、バックに付け髭の男性コーラス隊が並び、ピンク・レディーと一緒に歌うシーンが記憶に残ってます。

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↑ヴィレッジ・ピープルによる原曲「In The Navy」収録アルバムです。

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2007/2/25 日曜日

「ジパング」〜ピンク・レディー

Filed under: ピンクレディー, 1979年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 20:47:11

「ジパング」〜ピンク・レディー 最高7位(ベストテン内5週ランクイン)

ピンク・レディーの「カメレオン・アーミー」に続く、6曲目のザ・ベストテンランキング曲。
この「ジパング」は、当初「ミラクル伝説〜ジパング」でしたが、ザ・ベストテンにランキングされる頃に「ジパング」と短くなりました。

1979年3月29日に10位で登場。
最高7位で、ベストテン内に5週、20位以内に9週ランクインしました。
1979年の年間では、50位圏外でした。

1979/03/29    10位
1979/04/05     8位
1979/04/12     7位
1979/04/19     7位
1979/04/26    10位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高4位(26.9万枚)で、年間48位でした。
それまで出す曲全て大ヒットしていたピンク・レディーとしては、初めてデビュー曲の「ペッパー警部」の売り上げを下回る結果となりました。

この「ジパング」の時のピンク・レディーは、世界進出を目指し渡米することが多く、ザ・ベストテンでは録画での出演が多く、生で出演したのは1回だけだった様な気がします。
何となくレーザー光線を使ったセットで「ジパング」を歌うピンク・レディーを覚えてます。
「ジパング」での衣装は、今までと違って民族的なオリエンタル(エスニック?)な風変わりな衣装でした。(特にケイちゃんの衣装が!)

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2007/2/6 火曜日

「カメレオン・アーミー」〜ピンク・レディー

Filed under: ピンクレディー, 1978年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 20:40:32

「カメレオン・アーミー」〜ピンク・レディー 最高4位(ベストテン内9週ランクイン)

ピンク・レディーの「透明人間」に続くザ・ベストテン5曲目のランクイン曲。
1978年12月21日に9位で登場。
オリコンチャートでは6週連続1位を獲得しましたが、ザ・ベストテンでは最高4位でした。
ザ・ベストテンでは、5位前後にランクされることが多く、ベストテン内に9週ランクインしました。
ザ・ベストテンでの年間ランキングは、1978年、1979年共に50位圏外でした。

1978/12/21     9位
1978/12/28     6位
1979/01/11     5位
1979/01/18     4位
1979/01/25     5位
1979/02/01     5位
1979/02/08     5位
1979/02/15     8位
1979/02/22    10位

オリコンチャートでは、最高1位(70.8万枚)で、1979年の年間10位でした。
この「カメレオン・アーミー」では、ピンク・レディーの人気が、やや下降気味になってきた頃でしたが、それでも70万枚の売り上げは大したものだと思います。

この「カメレオン・アーミー」の発売された1978年の暮れ時期のピンク・レディーは、「サウスポー」で歌謡大賞を受賞したり、「UFO」で本命のレコード大賞を受賞したり、又は紅白歌合戦の出場を辞退したり(チャリティーコンサートの為)、何かと話題になりました。
この紅白歌合戦辞退が翌年にも影響を与え、1979年の紅白ではピンク・レディーが落選することとなりました。
この「カメレオン・アーミー」で、1979年のレコード大賞に挑んだものの、候補の10曲(金賞)からも落選してしまいました。

ザ・ベストテンでの「カメレオン・アーミー」の歌唱時、カメレオンのマスコットと共演しました。
衣装もカメレオンの様にいろんな色に変わる演出でした。

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