Sony Music Shop

管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/10/24 水曜日

「色つきの女でいてくれよ」〜ザ・タイガース

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 沢田研二, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:07:48

「色つきの女でいてくれよ」〜ザ・タイガース 最高2位(ベストテン内10週ランクイン)

60年代のGSブームにて圧倒的な人気を誇ったザ・タイガースが復活し、ザ・ベストテンに初登場!
沢田研二さんも、ザ・タイガースとして登場!

1982年3月25日に10位で初登場。
最高2位。
10位以内に10週。
20位以内に12週。
1982年の年間19位。

1982/03/18    16位
1982/03/25    10位
1982/04/01     7位
1982/04/08     5位
1982/04/15     4位
1982/04/22     2位
1982/04/29     3位
1982/05/06     2位
1982/05/13     3位
1982/05/20     4位
1982/05/27     6位
1982/06/03    16位

オリコンチャートでは、最高4位(42.7万枚)
1982年の年間19位。

ザ・タイガースは、60年代後半にその時代の人気の頂点を極めたGS(グループサウンズ)バンド!
当時としてはアイドルバンド!
沢田研二さんは、ザ・タイガース時代から既にスターで人気者でした。
GSの中ではトップクラスの人気を誇り、伝説的なグループでした。

ザ・タイガースは、「僕のマリー」「シーサイドバウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「花の首飾り」「シーシーシー」「廃虚の鳩」「青い鳥」「スマイル・フォー・ミー」とヒット曲も多数あります。
メンバーは、沢田研二さんの他に岸部修三(岸部一徳)さん、加橋かつみさん、森本太郎さん、瞳みのるさんでした。
後に加橋かつみさんが脱退し、岸部シローさんがメンバーに加わります。

ザ・タイガースは、1971年に解散し、1981年の暮れに再結成!
シングル「十年ロマンス」がザ・ベストテンに最高19位にランクインし、この「色つきの女でいてくれよ」で初のベストテン入りしました。
最高2位まで登り、この年を代表するヒット曲となりました。

「色つきの女でいてくれよ」は、コーセー化粧品の春のイメージソングとして、CMで多く流されました。
ザ・タイガースのメンバーもCM出演し話題に!

この曲では、メインボーカルを加橋かつみさんが担当し、沢田研二さんはサブボーカルでした。
再結成の際にドラムの瞳みのるさんが不参加だったことから、全員横並びの演奏形式を取り、全員でコーラスを担当。
パッと見た目、コーラスグループにも見えました。

この頃は、オールデイズやGSが再びリバイバル的に流行しました。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


ザ・タイガースのプロフィール

沢田研二(ジュリー) ボーカル
岸部修三(サリー、後に岸部一徳に改名)ベース
加橋かつみ(トッポ) ギター
森本太郎(タロー) ギター
瞳みのる(ピー)ドラム
岸部シロー(シロー)ギター、タンバリン

1967年、2月5日いシングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイドバウンド」と「モナリザの微笑」が大ヒットしブレイクする。
1968年、「君だけに愛を」「花の首飾り/銀河のロマンス」「シーシーシー」と次々に大ヒット曲を発表し、当時のトップGSバンドとなる。日本初のスタジアム・ライブとなるザ・タイガース・ショー〜真夏の夜の祭典を後楽園球場で開催。
1969年、加橋かつみがザ・タイガースを脱退し、新メンバーとして岸部シローが参加する。
1971年1月24日、日本武道館にて解散コンサートを開きタイガースは解散する。
1981年、「さよなら日劇ウエスタン・カーニバル」が開催され、ザ・スパイダース、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、ザ・カーナビーツなどろ共にザ・タイガースも再結成し出演。ドラムスの瞳みのる以外のメンバーが結集した。11年ぶりにシングル「十年ロマンス」を発表。
1982年、「色つきの女でいてくれよ」が大ヒットし、2度目のブームが訪れる。
1989年、NHK紅白歌合戦に初出場し、「花の首飾り」「君だけに愛を」を演奏する。

ザ・タイガースエッセンシャル・ベスト
ユニバーサル ミュージック
発売日:2007-08-22

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/23 火曜日

「い・け・な・いルージュマジック」〜忌野清志郎+坂本龍一

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:36:15

「い・け・な・いルージュマジック」〜忌野清志郎+坂本龍一 最高3位(ベストテン内7週ランクイン)

忌野清志郎さんと坂本龍一さんによる異色のユニット!
この「い・け・な・いルージュマジック」でザ・ベストテン初登場!

1982年3月18日に8位で初登場。
最高3位。
10位以内に7週。
20位以内に11週。
1982年の年間40位。

1982/03/04    19位
1982/03/11    16位
1982/03/18     8位
1982/03/25     6位
1982/04/01     5位
1982/04/08     4位
1982/04/15     3位
1982/04/22     5位
1982/04/29     6位
1982/05/06    12位
1982/05/13    17位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(41.3万枚)
1982年の年間20位。

「い・け・な・いルージュマジック」は、1982年春の資生堂のキャンペーンソングとして、当時CMでガンガン流れました。
化粧品のタイアップは、当時のヒット曲の定番でもありました。
忌野清志郎さんと坂本龍一さんの異色のコラボレーションが当時大きな話題になり、この曲は大ヒット!
オリコンチャートでは、最高1位を記録。

忌野清志郎さんと言えば、当時は人気バンドのRCサクセションです。
「スローバラード」「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」辺りが代表曲です。
この頃は、まだマニアックな存在で、この「い・け・な・いルージュマジック」のヒットで一躍世に知られる存在となった様な気がします。
RCサクセションは、この直後に急激にブレイクし、同じ年の夏「サマーツアー」でザ・ベストテンに登場します。
そのRCサクセションの忌野清志郎さんが坂本龍一さんと初ユニットを組みました。

坂本龍一さんと言えば、当時はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が大ブームでした。
YMO(イエローマジックオーケストラ)は、80年代を代表するテクノバンド!
「テクノポリス」「ライディーン」など当時新しいテクノブームを作り上げた大きな存在です。
世界的にも有名ですね。
坂本龍一さんは、矢野顕子さんの「春先小紅」で、ザ・ベストテンにバックバンドとして登場済みです。
1983年には、YMOとして「君に、胸キュン。」が大ヒットし、ザ・ベストテンに登場します。

そんな二人のユニットが、1982年の春に大ヒット曲を発表!
「い・け・な・いルージュマジック」は、その斬新な曲と二人のPVが話題にもなりました。
PVでは、忌野清志郎さんと坂本龍一さんが札束を撒き散らしたり、二人でキスしたり、やりたい放題!

ザ・ベストテンにも1度だけ登場し、エキセントリックな演奏とパフォーマンスを披露!
特に忌野清志郎さんの弾けっぷりには、当時テレビを見ていた人たちは驚いたのでは?
登場直後の完全に舐めた様な態度には、当時驚かされました!
それに比べて坂本龍一さんは、おとなしく、いたってクール!
二人の対照的な登場に見ている方は引き込まれたに違いありません。

このユニットは、企画物で1度だけでした。
今考えても斬新なユニットです。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ



忌野清志郎さんのプロフィール
1951年、4月2日生まれ。
1970年、RCサクセションとしてオムニバス盤に収録された「泥だらけの海」でデビューし、直後にシングル「宝くじは買わない」で単独デビュー。
1972年、シングル「ぼくの好きな先生」が話題になる。
1973年、井上陽水の「帰れない二人」を競作する。
1976年、シングル「スローバラード」が話題になり、アルバム「シングルマン」がマニアの間で名盤と言われるがヒットせずに廃盤になる。
1980年、「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」などがヒットし、人気を得る。
1982年、坂本龍一とユニットを組み「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂のキャンペーンソングとして大ヒットする。直後RCサクセションとして「サマーツアー」が大ヒットする。
1988年、反戦・反核をテーマにしたカバーアルバム「COVERS」とシングル「ラブミー・テンダー」が急遽発売中止になるが、レコード会社を移籍して発売し大ヒットとなる。
1989年、ザ・タイマーズとして極秘プロジェクト開始。カップヌードルのCMソングとして「デイドリーム・ビリーバー」が大ヒットする。フジテレビの「ヒットスタジオR&N」にて、予定外の「FM東京のうた」(放送禁止の抗議の歌)を演奏し、FM東京事件として大きな話題になる。
1990年、RCサクセションは解散する。
以降、ソロとして活躍。
映画やテレビドラマにも出演し、活動の場を広げる。
1999年に、ロック風にアレンジされた「君が代」を収録したアルバム「冬の十字架」が、発売禁止になり、その後インディーズレーベルから発売された。
2006年7月13日、喉頭癌であることを発表。
2007年4月、ブルーノート東京でのザ・ブルースブラザーズ・バンドの来日公演において、サプライズゲストとして参加する。

坂本龍一さんのプロフィール
1952年、1月17日生まれ。
1975年、東京芸術大学院在学中にスタジオミュージシャンとしての音楽活動を開始。
その後、山下達郎や大瀧詠一、中島みゆきのアルバム制作に参加。
1978年、細野晴臣、高橋幸宏とともにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成する。アルバム「千のナイフ」でソロデビューを果たす。
1979年、YMOとして世界的活動する。
1980年、アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」と「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が大ヒットを記録。テクノブームを作り上げる。ワールドツアーを実施する。
1981年、NHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。
1982年、忌野清志郎とユニットを組んで「い・け・な・いルージュマジック」を発売し大ヒットする。
1983年、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」では音楽を担当し、俳優として出演し大きな話題になる。YMOとして「君に、胸キュン。」がカネボウ化粧品の夏のキャンペーンソングになり大ヒットする。暮れにYMOは「散開」(解散)する。
1984年、矢野顕子らとMIDIレコードを設立。
1987年、世界的に有名なベルナルド・ベルトルッチ監督映画「ラストエンペラー」の音楽をデイヴィッド・バーン(トーキング・へっず)、コン・スーと共に担当しアカデミー賞の作曲賞を受賞する。俳優として甘粕正彦満映理事長役で出演する。
1993年、YMO「再生」(再結成)し東京ドームにて2日間だけのライブを行う。
1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「GEISHA GIRLS」をプロデュース。
1999年、ピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーを記録。
以降も世界的なミュージシャンとして、更に文化人として大活躍を続けている。

MAGIC〜Kiyoshiro The  Best
EMIミュージック・ジャパン
発売日:1994-09-16
Best Songs~We Love 80’S~
EMIミュージック・ジャパン
発売日:2007-09-12

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/18 木曜日

「ウェディング・ベル」〜シュガー

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:31:20

「ウェディング・ベル」〜シュガー 最高5位(ベストテン内8週ランクイン)

コミカルな女性3人組のコーラスグループのシュガーの初のザベストテン登場曲です。
「ウェディング・ベル」は、この年を代表するヒット曲でした。

1982年2月25日に7位で初登場。
最高7位。
10位以内に8週。
20位以内に12週。
1982年の年間25位。

1982/02/18    17位
1982/02/25     7位
1982/03/04     5位
1982/03/11     5位
1982/03/18     6位
1982/03/25     5位
1982/04/01     6位
1982/04/08     7位
1982/04/15     9位
1982/04/22    12位
1982/04/29    14位
1982/05/06    20位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(48.5万枚)
1982年の年間13位。

この「ウェディング・ベル」は、斬新な歌詞が当時大きな話題と成りました。
男にふられた女性が、男の結婚式に参加!
協会で1人愚痴を言って、カップルを見送る!
最後に「くたばっちまえ、アーメン!」

冒頭の「ウェディング・ベル」のコーラス。
そして「くたばっちまえ」
それまで聴いたことの無い様なインパクトのある曲でした。

最初にラジオで聴いた時、間違いなくヒットの予感があり、直後「ウェディング・ベル」はベストテン入りしました。
ベストテン入りの直前に、シュガーはスポットライトコーナーに出演しました。
今風(当時として)な女の子3人組な感じでした。

シュガーは、ミキさん、クミさん、モーリさんの3人組み。
女性コーラスバンドとして、当時として新しい感覚のグループでした。
3人とも明るく、現代っ子なイメージでした。
(あくまでも1982年当時の感想)

1982年の紅白歌合戦にも初出場。
シュガーにとっては、これが最初で最後のザ・ベストテン登場曲でした。
その他、「アバンチュールはルックスしだい」「私・にほリカ人」「ウエディング・ベル II」等。

残念ながらメンバーのモーリさんは1990年に亡くなりました。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ



シュガー(Sugar)のプロフィール

ミキ(笠松美樹)1960年7月15日生まれ、ボーカル、ピアノ
クミ(長沢久美子)1960年7月15日生まれ、 ボーカル、ギター
モーリ(毛利公子)1960年9月29日生まれ、 ボーカル、ベース。

1981年、「ウエディング・ベル」でデビューする。
1982年、「ウェディング・ベル」が大ヒットし、 紅白歌合戦出場する。
1986年、解散し、それぞれタレントとして活動する。

ゴールデン☆ベスト
フォーライフ ミュージックエンタテイメント
発売日:2004-10-20

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/15 月曜日

「すずめ」〜増田けい子

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, ピンクレディー, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:11:13

「すずめ」〜増田けい子 最高9位(ベストテン内4週ランクイン)

ピンク・レディーのケイこと増田けい子(現・増田恵子)さんのソロでのザ・ベストテン初登場です。
この「すずめ」が増田けい子さんにとってソロデビュー第一弾シングルでした。

1982年2月18日に9位で初登場。
最高9位。
10位以内に4週。
20位以内に12週。
1982年の年間43位。

1982/01/14    20位
1982/01/21    19位
1982/01/28    18位
1982/02/04    16位
1982/02/11    14位
1982/02/18     9位
1982/02/25     9位
1982/03/04    10位
1982/03/11    10位
1982/03/18    12位
1982/03/25    14位
1982/04/01    17位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高9位(26.7万枚)
1982年の年間47位。

増田けい子さんは、1976年から1981年までピンク・レディーとして大活躍!
ザ・ベストテンでは「UFO」で初回の第1位を飾りました。
ピンク・レディー解散直前にこのザ・ベストテンのスポットライトコーナーに出演し、増田けい子さんはそれ以来のザ・ベストテン登場となります。

そのピンク・レディーのイメージを完全に拭い去り、解散後、ソロシンガーとしてこの「すずめ」を1981年11月28日にリリースしました。
この「すずめ」は中島みゆきさんの作詞作曲でした。
ピンク・レディーと中島みゆき!
全くかけ離れたイメージがあります。
共通点は、どちらもザ・ベストテンの第1回目にランクインされたことくらいです。
この曲は、中島みゆきさんもその後アルバム「御色なおし」の中でセルフカバーされました。

この「すずめ」がベストテン入りしたのは1982年2月18日。
前年の1981年11月28日に発売以降、じわじわチャートを登り大ヒットに至りました。

ヒットの要因は、ピンク・レディーのケイちゃんのイメージチェンジと中島みゆき楽曲にあると思います。
イメージの逆転がうまく成功したのだと思います。

「すずめ」は、増田けい子さん唯一のソロシングルでのベストテンヒットでした。
増田けい子さんは、その後1982年に松任谷由実作詞作曲「ためらい」をカバー。
その他、竹内まりや作詞作曲「らせん階段」、1984年にはサザンオールスターズの桑田佳祐作詞作曲「女優」と話題曲を発表しました。

もう1人のピンク・レディーもミーさんも、1981年にMIEとして「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー。
1984年に「NEVER」が大ヒットし、ザ・ベストテンに登場します。

ピンク・レディーは二人ともソロとしてヒット曲を持ち、ザ・ベストテンに登場しました。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


増田けい子(恵子)さんのプロフィール
本名:桑木啓子
1957年、9月2日生まれ。
1976年、「スター誕生!」にて合格し、ピンク・レディーとして「ペッパー警部」でデビュー。
1977年、「S・O・S」「カルメン’77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」と立て続けに大ヒットを記録し、紅白歌合戦に初出場。
1978年、「UFO」でレコード大賞受賞。「サウスポー」で歌謡大賞を受賞。「モンスター」で5曲連続ミリオンセラーを記録。
1979年、渡米し、ピンク・レディーとして全米デビューを果たす。
1981年、ピンク・レディーを解散。11月の「すずめ」でソロデビューする。
1982年、「すずめ」が大ヒットする。その他、映画やテレビドラマで女優としても活動する。
1984年、期間限定でピンク・レディーを再結成する。
1989年、1990年、2000年、ピンク・レディーとして紅白歌合戦に出場。
1990年、Kéiとしてフランスでも歌手デビューを果たす。
2003年〜2005年、本格的にピンク・レディーとして全国ツアーを行う。
2005年、12月7日にはソロとしては15年ぶりに新曲「奇蹟の花」をリリースする。

究極のベスト! 増田恵子
ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2005-07-27
奇蹟の花
ユニバーサルJ
発売日:2005-12-07

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/10/9 火曜日

「夢の途中」〜来生たかお

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲, 来生たかお — ベストテンマニア:K @ 23:52:19

「夢の途中」〜来生たかお 最高4位(ベストテン内8週ランクイン)

作曲家としても80年代に大活躍した来生たかおさんのザ・ベストテン初登場です。
この「夢の途中」は、薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」の別タイトル曲で、基本的に同じ曲です。

1982年2月4日に7位で初登場。
最高4位。
10位以内に8週。
20位以内に12週。
1982年の年間30位。

1982/01/21    18位
1982/01/28    14位
1982/02/04     7位
1982/02/11     4位
1982/02/18     5位
1982/02/25     5位
1982/03/04     6位
1982/03/11     7位
1982/03/18     7位
1982/03/25     9位
1982/04/01    11位
1982/04/08    16位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高4位(41万枚)
1982年の年間24位(40.5万枚)

来生たかおさんは、作詞家でもある姉の来生えつこさんとのコンビ知られてます。
薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」が初の大ヒット曲で、同じ時期にセルフカバーしこの「夢の途中」の方も大ヒットしました。
実際は、来生たかおさんのこの「夢の途中」の方が先にシングル発売しました。
「セーラー服と機関銃」の大ヒットにより、遅れて大ヒットしました。

「夢の途中」は、メロディは全く「セーラー服と機関銃」と同じですが、歌詞の一部分が微妙に違ってます。
「夢の途中」のタイトルが歌詞に入ってます。

この2曲の同時ヒットにより来生たかおさんは一躍世に知られることになりました。
それまでも一部の間では、人気があったようです。
山口百恵さんのアルバムに曲を提供したり、松任谷由実さんのアルバム「流線形 ‘80」の中の曲「Corvett 1954」で松任谷由実さんとデュエットしたり!

この「夢の途中」のヒットで、その後も来生たかおさんは作曲家としてもたくさんのヒット曲を発表します。
来生たかお作曲作品でザ・ベストテンにランクインした曲↓

薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」「語り継ぐ愛に」
大橋純子さんの「シルエット・ロマンス」
中森明菜さんの「セカンド・ラブ」「トワイライト」
河合奈保子さんの「ストロー・タッチの恋」「疑問符」
南野陽子さんの「楽園のDoor」
風間三姉妹(浅香唯、大西結花、中村由真)の「Remember」

その他、中森明菜さんのデビュー曲「スローモーション」、あみんの岡村孝子さんのソロシングル「はぐれそうな天使」も有名です。
桃井かおりさんとのデュエット曲「ねじれたハートで」も1982年にヒットし、ザ・ベストテンでは最高13位で二人でスポットライトコーナーに出演しました。
1988年には、斉藤由貴さんとのデュエットソング「ORACION」が最高10位にランクインされ、来生たかおさんは再びザ・ベストテンに登場します。

来生たかおさんのソロとしてのザ・ベストテンの登場は、この「夢の途中」だけでした。
「夢の途中」のヒットの直前「Goodbye Day」が有線で1位になり当時話題曲としてヒット!
その他、「気分は逆光線」「白いラビリンス」(スポットライトコーナーに出演、中森明菜「白い迷い」のセルフカバー)がヒットしました。

以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ


来生たかおさんのプロフィール
1950年、11月16日生まれ。
1976年、「浅い夢」でデビューする。
1977年、しばたはつみへの提供曲「マイ・ラグジュアリー・ナイト」がヒットする。
1978年、松任谷由実のアルバム「流線形’80」の「Corvett1954」でデュエット形式でボーカル参加。
1981年、薬師丸ひろ子への提供曲「セーラー服と機関銃」が大ヒットする。
1982年、ソロシングル「夢の途中」が自身初の大ヒットとなる。大橋純子への提供曲「シルエット・ロマンス」が大ヒットする。中森明菜のデビューシングル「スローモーション」の作曲を担当し、「セカンド・ラブ」が大ヒットする。
1983年、日本作曲大賞にて中森明菜への提供曲「セカンド・ラブ」で大賞を獲得する。
1987年、南野陽子への提供曲「楽園のDoor」が大ヒットする。
1988年、斉藤由貴とのデュエット曲「ORACION」が映画「優駿」の主題歌としてヒットする。
1990年、井上陽水の「少年時代」にピアノ伴奏で参加する。

ゴールデン☆ベスト 来生たかお バイオグラフィー
ユニバーサル インターナショナル
発売日:2003-11-26
来生たかお大全集
ユニバーサル ミュージック
発売日:2007-03-21

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

« 前のページ次のページ »

HTML convert time: 0.667 sec. Powered by WordPress ME