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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/12/24 月曜日

「すみれSeptember Love」〜一風堂

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1位獲得曲, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:51:19

「すみれSeptember Love」〜 一風堂 最高1位1週(ベストテン内9週ランクイン)

一風堂のザ・ベストテン初登場曲です。
ボーカル&リーダーは土屋昌巳さんでした。

1982年10月7日に6位で初登場。
最高1位。
10位以内に9週。
20位以内に13週。
1982年の年間21位。

1982/09/23    15位
1982/09/30    15位
1982/10/07     6位
1982/10/14     2位
1982/10/21     1位
1982/10/28     2位
1982/11/04     2位
1982/11/11     5位
1982/11/18     6位
1982/11/25     7位
1982/12/02    10位
1982/12/09    11位
1982/12/16    15位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(45.2万枚)
1982年の年間21位(40.8万枚)

この「すみれSeptember Love」は、カネボウ化粧品の秋のテーマ曲としてCMで流され大ヒットしました。
当時、一風堂は、全くの無名で、ヒット直前まで謎とされてました。
この曲がヒットし、ボーカルの土屋昌巳さんがイギリスの世界的に人気だったニューウェイブバンドJAPAN(ジャパン)のメンバーだったこともあり、大きな話題に!
この「すみれSeptember Love」のヒット中、土屋昌巳さんはジャパンの世界ツアーに参加し、ザ・ベストテンへは海外からの中継(生ではなかった様な)で出演。
一風堂の他のメンバーも中継の為にロンドンへ出かけ、演奏すると言ったスタイルでした。

1位を獲得した回では、土屋昌巳さん以外のメンバーがスタジオに登場し、お祝いの餅つきを行いました。
この餅つき、ザ・ベストテン恒例で、当時から何故餅つき?との意見も多かったとか!
曲のイメージ全く合わず、それが笑いを取ってました。
それから土屋昌巳さんと研ナオコさんの顔が似ていると話題にもなりました。

「すみれSeptember Love」はいかにも80年代の音楽です。
テクノとニューウェイブの融合!
中国的なサウンドも取り入れ、当時人気だったYMOの影響も大きかったと思われます。
ちなみにこの曲1997年にSHAZNAによってカバーされ大ヒットしました。
一風堂を知らない世代にとって「すみれSeptember Love」と言うとSHAZNAと浮かぶ人も多いかもしれません。

当時の一風堂のメンバーは、土屋昌巳さん以外では、見岳章さん、藤井章司さん。
見岳章さんは、作曲家としても有名で、とんねるずの「雨の西麻布」や美空ひばりさんの「川の流れのように」などのヒット曲があります。
おニャン子クラブの「恋はくえすちょん 」やニャンギラスの「私は里歌ちゃん」もこの人でした。

一風堂は、ザ・ベストテンの5周年記念の特別番組に初めてスタジオ出演しました。
この時は、JAPAN(ジャパン)のメンバーも一緒に登場!
JAPANのメンバー達が、寺尾聡さんの12週連続1位記録の記念タバコを勝手に吸って、笑われた様な記憶があります。

一風堂と言うと「すみれSeptember Love」のヒット以外では一般的に知られず、一発屋だと思われてますが、マニアの間では伝説的なバンドでもあります。
特に洋楽ファンの間で評価が高く、当時のオリジナルアルバムはプレミア物らしいです。

一風堂は、その後メンバーが脱退したりして1984年に解散しました。
土屋昌巳さんは、その後プロデューサーとしても活躍。
TBSの深夜番組として大ヒットした「イカ天(イカスバンド天国)」の審査員を務めたこともありました。
プロディースしたアーチストは大物も多く含まれ、THE MODS、森山達也、小泉今日子、小比類巻かほる、藤井尚之、杏子、マルコシアス・バンプ、GLAY、THE BLANKEY JET CITY、中島美嘉、など大勢。

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一風堂のプロフィール。

土屋昌巳:ボーカル・ギター
見岳章:キーボード
赤尾敬文:ベース
藤井章司:ドラム

1979年、一風堂結成。
1980年、赤尾敬文が脱退。
1982年、シングル「すみれSeptember Love」がカネボウ化粧品のCMソングに起用され大ヒット。 アルバム「Lunatic Menu」をリリースしオリコン最高3位のヒット。その後、藤井章司が脱退。
1982年、アルバム「SOME-TIMES」をリリース。
1983年、アルバム「ナイトミラージュ」をリリース。
1984年、解散する。

ベリー・ベスト〜すみれSeptember Love
エピックレコードジャパン
発売日:1998-04-01

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/12/18 火曜日

「ダンスはうまく踊れない」〜高樹澪

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:21:15

「ダンスはうまく踊れない」〜高樹澪 最高2位(ベストテン内7週ランクイン)

女優として活躍していた高樹澪さんのザ・ベストテン初登場曲です。

1982年9月16日に8位で初登場。
最高2位。
10位以内に7週。
20位以内に10週。
1982年の年間39位。

1982/09/09    14位
1982/09/16     8位
1982/09/23     6位
1982/09/30     5位
1982/10/07     2位
1982/10/14     6位
1982/10/21     7位
1982/10/28    10位
1982/11/04    14位
1982/11/11    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高3位(30.7万枚)
1982年の年間35位(30.7万枚)

この「ダンスはうまく踊れない」は、井上陽水さんの名曲です。
元々は、1977年に井上陽水さんの奥さんである石川セリさんに提供した曲です。
この1982年に高樹澪さんがカバーしました。

高樹澪さんは主に女優として活躍し、自身も出演されたドラマ金曜ミステリー劇場「過去のない女たち」の主題歌としてヒットしました。
「ダンスはうまく踊れない」は、井上陽水さんの独特な世界観が強く反映された曲です。
又、高樹澪さんの風貌(長い髪)とやや気だるそうな歌い方がミステリアスで、この曲の独特な世界観が一層膨らんだような印象です。

高樹澪さんは、ザ・ベストテンにもランキング中は毎週出演されました。
この曲のヒット時は、アルバムのレコーディングと自身初のコンサートが重なり、中継が多かったです。
ベストテン登場曲は、1曲のみです。
その後は、本業の女優として活躍します。

「ダンスはうまく踊れない」は、多くのシンガー達によって歌われています。
オリジナルが石川セリさん。
高樹澪さんがカバーしヒット!
そして井上陽水さんが大ヒットアルバム「9.5カラット」の中でセルフカバー!
中森明菜さんもカバーアルバム「歌姫」の中で歌っています。

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高樹澪さんのプロフィール
1960年、12月31日生まれ。
本名・貞谷油佳里。
小学生時代は劇団いろは所属し子役をしていた。
1981年、アミューズシネマ第一作品「モーニングムーンは粗雑に」で女優としてデビュー。
1982年、歌手として「ダンスはうまく踊れない」でレコードデビューし大ヒット。
1983年、堀ちえみ主演ドラマ「スチュワーデス物語」に出演。
1986年、ドラマ「遊びじゃないのよ、この恋は」に出演。映画「卍/ベルリン・アフェア」に主演。
1990年、映画「ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説」に出演。その後ウルトラマンシリーズの常連となる。
1996年、テレビシリーズ「ウルトラマンティガ」に出演。
1997年、テレビシリーズ「ウルトラマンダイナ」に出演。
1998年、映画「ウルトラマンティガ&ウルトラマンダイナ 光の星の戦士たち」に出演。
2000年、映画「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」に出演。
2002年、映画「ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」に出演。
2003年、映画「ウルトラマンコスモスVSウルトラマンジャスティス THE FINAL BATTLE」に出演。

高樹澪・ナーダ

高樹澪・スーパーベスト16

一世風靡~一曲入魂編~
ポニーキャニオン
発売日:2002-03-20

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/12/4 火曜日

「サマー・ツアー」〜RCサクセション

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:47:24

「サマー・ツアー」〜RCサクセション 最高8位(ベストテン内1週ランクイン)

RCサクセションの初のザ・ベストテン登場曲です。
ボーカルの忌野清志郎さんにとっては坂本龍一さんとのコラボ作品の「い・け・な・いルージュマジック」に続く2曲目のザ・ベストテン出演でした。

1982年8月5日に8位で初登場。
10位以内に1週。
20位以内に8週。
1982年の年間63位。

1982/07/22    15位
1982/07/29    12位
1982/08/05     8位
1982/08/12    13位
1982/08/19    17位
1982/08/26    15位
1982/09/02    17位
1982/09/09    20位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高6位(21.7万枚)
1982年の年間58位。

RCサクセションにとって、この「サマー・ツアー」が唯一のザ・ベストテンにランクインされた曲です。
8位に1週のみでした。
これは今となっては意外な感じがします。

ザ・ベストテンに8位にランクインされた時は、レコーディングスタジオ(コンサートリハーサル?)からの中継でした。
片手にペットボトルを持ち黒柳徹子さんに「何を飲んでるんですか?」と聞かれ「スポーツドリンクです」と意味の無いやり取りが何故か覚えてますが!
RCサクセションがテレビの音楽番組に出演することは当時としては異例で、このベストテンでの出演は貴重でした。
忌野清志郎さんのトークも個性的でした。

RCサクセションは、パンク系バンドで反社会的とも当時言われてました。
過激な歌詞!
「BABY」のリフレイン!
個性派パンクバンドの先駆け的な存在でした。

「サマー・ツアー」が唯一のベストテンヒットですが、他にも名曲を数々残しています。
初期のフォーク時代(?)には「ぼくの好きな先生」「キミかわいいね」「三番目に大事なもの」「甲州街道はもう秋なのさ」「スローバラード」等、今でも人気の高い名曲がありました。
RCサクセションのマニア達には今でも愛されてますね。

パンクバンドとなりブレイクする切欠の「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」も名曲です。
その他「つ・き・あ・い・た・い」「Oh! Baby」「ベイビー!逃げるんだ。」
そして、問題作となったカバー曲の「ラブ・ミー・テンダー」等、ヒットチャートとは関係無いところでRCサクセションは活躍していました。
忌野清志郎さんは、当時からヒットチャートに不信感を持っていたようで、ラジオで「チャートなんか関係ないぜ!」と言ってていました。

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RCサクセションのプロフィール
忌野清志郎(ヴォーカル、ギター)
破廉ケンチ(ギター)
小林和生(ベース)
仲井戸麗市、他・メンバーチェンジの激しく詳細不明。俳優の三浦友和さんもメンバーだった時期もあるらしいです。

1970年、忌野清志郎、小林和生、破廉ケンチの3人でRCサクセションとしてデビュー。
1972年、シングル「ぼくの好きな先生」がヒット。アルバム「初期のRCサクセション」をリリース。
1973年、井上陽水のミリオンセラーとなったアルバム「氷の世界」の中の曲「帰れない二人」「まちぼうけ」を井上陽水と清志郎が共作(作詞・作曲)する。
1976年、シングル「スローバラード」を発表3枚目のアルバム「シングルマン」をリリース。
1979年、シングル「ステップ!」をリリース。
1980年、シングル「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」が話題となりブレイクする。
1982年、シングル「サマーツアー」が初のトップテンヒットとなる。
1988年、反戦・反核をテーマにしたカバーアルバム「COVERS」(カバーズ)とシングル「ラブミー・テンダー」を製作するが、当時東芝EMIの親会社の東芝が原子力関連企業でもあったために、東芝から圧力がかかり急遽発売中止になる。急遽レコード会社を変えて発売しアルバムチャート1位を獲得。
1990年、アルバム「Baby a go go」を発表。12月25日の日本武道館ライヴを最後に活動を停止した。

ゴールデン☆ベスト RCサクセション
ユニバーサル インターナショナル
発売日:2004-02-25
BEAT POPS
EMIミュージック・ジャパン
発売日:2005-11-23
GREATFUL DAYS
EMIミュージック・ジャパン
発売日:2005-06-01

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/12/1 土曜日

「ラ・セゾン」〜アン・ルイス

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:47:10

「ラ・セゾン」〜アン・ルイス 最高3位(ベストテン内8週ランクイン)

アン・ルイスさんのザ・ベストテン初登場曲です。
意外にも、1曲のみのランクインでした。

1982年7月22日に8位で初登場。
最高3位。
10位以内に8週。
20位以内に13週。
1982年の年間28位。

1982/07/01    20位
1982/07/08    16位
1982/07/15    14位
1982/07/22     8位
1982/07/29     3位
1982/08/05     4位
1982/08/12     4位
1982/08/19     6位
1982/08/26     8位
1982/09/02     8位
1982/09/09    10位
1982/09/16    13位
1982/09/23    18位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高3位(35.4万枚)
1982年の年間29位。

アン・ルイスさんは、1974年に「グッド・バイ・マイ・ラブ」がヒットし、その頃清純派アイドル歌手として活躍しました。
1978年に「女はそれを我慢できない」でイメージチェンジし、ロックシンガーへ転身!
ザ・ベストテンでもスポットライトコーナーにディスコからの中継で出演しました。
そして、1980年に桑名正博さんと結婚し、出産の為に一時芸能界活動を休止していましたが、この「ラ・セゾン」で復帰しました。

「ラ・セゾン」は、アン・ルイスさんにとって最大のヒット曲となりました。
この曲は、作詞が三浦百恵(旧姓:山口百恵)さんで、作曲が沢田研二さんでした。
この作詞作曲コンビも当時話題になりました。

アン・ルイスさんと山口百恵さんは、現役時代から仲が良く、プライベートで海外旅行に出掛ける程だとか!
芸能界を引退してた百恵さんでしたが、この曲で作詞家として注目を集めました。
作曲の沢田研二さんは、自身の作曲はたくさんありましたが、他のアーチストへの提供曲となると、この「ラ・セゾン」しか思い浮かびません。
なので、「ラ・セゾン」はヒットしない方が不思議なくらいかもしれません。

アン・ルイスさんは、この頃は長男の美勇士さんを出産した直後で、久しぶりに芸能活動を再開。
丁度、当時旦那だった桑名正博さんの諸々のスキャンダルと重なり、いろんな面で注目を集めていた頃でもありました。

この曲では、マリリン・モンローの様なスタイルで派手に決めていました。
バック・バンドは確か全員外国人ミュージシャン!
ザ・ベストテンでも派手に登場しました。

アン・ルイスさんはシンガーとしての活動以外にも、衣装デザインでも有名でした。
キャンディーズの「やさしい悪魔」の衣装は、アンさんのデザインでした。
山口百恵さんや中森明菜さんへの衣装も手がけていた様な記憶もあります。

アン・ルイスさんは、ザベストテンではこの「ラ・セゾン」1曲のみのランクイン!
ちょっと意外な感じがします。
1978年の「女はそれを我慢できない」は25.4万枚のセールスを記録しましたが、ザ・ベストテンでは最高16位でした。
山下達郎さん提供の「恋のブギ・ウギ・トレイン」「BOOGIE WOOGIE LOVE TRAIN」や竹内まりやさんがアン・ルイスさんの為に書き下ろした「リンダ」など名曲がたくさんあります。
1985年には、大ヒット曲「六本木心中」では最高16位でした。
その他「あゝ無情」「天使よ故郷を見よ」「WOMAN」「夜に傷ついて」などのヒット曲があります。

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アン・ルイスさんのプロフィール
本名:アン・リンダ・ルイス。
1956年、6月5日生まれ。3歳の頃から子役として活躍。
1971年、シングル「白い週末」でデビュー。
1974年、「グッド・バイ・マイ・ラブ」が23.8万枚の大ヒット。
1978年、「女はそれを我慢できない」でロックシンガーに転身し、話題になる。
1980年、桑名正博と結婚。
1981年、長男・美勇士を出産。この頃、育児に専念するため音楽活動を暫く休業する。
1982年、活動再開。結婚を機に芸能界を引退した三浦(旧姓・山口)百恵作詞・沢田研二作曲の「ラ・セゾン」が大ヒット。
1984年、桑名正博と離婚。
1985年、前年に発売した「六本木心中」がロングヒットを記録し、自身の代表曲として印象付ける。
1986年、「あゝ無情」が有線・カラオケを中心に大人気曲となる。
1989年、「WOMAN」が有線でロングヒットを記録。
1995年頃、パニック障害を患い、音楽活動を休止する。
2005年、活動再開する。

アン・ルイス Best Selection
ビクターエンタテインメント
発売日:2005-03-24
WOMANISM COMPLETE BEST(DVD付)
ビクターエンタテインメント
発売日:2006-09-06

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/11/15 木曜日

「赤道小町ドキッ」〜山下久美子

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:14:40

「赤道小町ドキッ」〜山下久美子 最高3位(ベストテン内9週ランクイン)

山下久美子さんのザ・ベストテン初登場曲です。
化粧品のCMソング、夏のキャンペーン曲として大ヒット!

1982年6月3日に10位で初登場。
最高3位。
10位以内に9週。
20位以内に13週。
1982年の年間20位。

1982/05/20    20位
1982/05/27    16位
1982/06/03    10位
1982/06/10    10位
1982/06/17     5位
1982/06/24     5位
1982/07/01     5位
1982/07/08     3位
1982/07/15     3位
1982/07/22     5位
1982/07/29    10位
1982/08/05    13位
1982/08/12    18位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(40.8万枚)
1982年の年間22位。

山下久美子さんは、当時学園祭の女王と呼ばれていました。
この「赤道小町ドキッ」のヒット前から、女性シンガーとして高い人気を誇ってました。
「バスルームから愛を込めて」等、他にも名曲があります。

この「赤道小町ドキッ」は、カネボウの夏のCMキャンペーン曲でした。
毎日CMでバンバン流されてました。
作詞が松本隆さんで、作曲が細野晴臣さん。
どちらも当時のヒットメーカー!
これはヒットしない方がおかしい!

ザ・ベストテンでは、ジャングルから出てきた様な大胆なターザンスタイルの衣装!
スタジオに象を入れて、山下久美子さんが象に跨って、この曲を披露したこともありました。
象がスタジオで使用されたのは、初めての様な!

「赤道小町ドキッ」は山下久美子さんの唯一の大ヒット曲です。
その他「マラソン恋女」「こっちをお向きよソフィア」「(星の降る夜に)」等も有名です。

山下久美子さんは、1985年に布袋寅泰と結婚しますが、1997年に離婚。
シンガー以外に女優としても活躍しています。

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山下久美子さんのプロフィール
1959年、1月26日生まれ。
1980年、シングル「バスルームから愛をこめて」で歌手でデビュー。
1981年、東京音楽祭にエントリーされる。
1982年、シングル「赤道小町ドキッ」がカネボウ化粧品のCMソングに起用され大ヒットする。
1985年、当時BOØWYのギタリストの布袋寅泰と結婚する。
1997年、離婚する。
2000年、デビュー20周年記念として、佐野元春や桑田佳祐らをゲストを迎えたセルフ・カヴァー・ベスト・アルバム「THE HEARTS」を発表する。

山下久美子 ゴールデン☆ベスト-コロムビア・シングルス1980~1988-
コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2005-01-26
THE HEARTS
EMIミュージック・ジャパン
発売日:2000-06-25

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

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