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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/8/25 土曜日

「ブルージーンズメモリー」〜近藤真彦

Filed under: 1位獲得曲, 近藤真彦, 1981年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:14:55

「ブルージーンズメモリー」〜近藤真彦 最高1位2週(ベストテン内13週ランクイン)

近藤真彦さんの「ヨコハマ・チーク」に続く、3曲目のザ・ベストテン登場曲です。
この曲で2曲目の1位を獲得。

1981年6月25日に7位で初登場。
最高1位を2週。
10位以内に13週。
20位以内に16週。
1981年の年間7位。

1981/06/18    20位
1981/06/25     7位
1981/07/02     5位
1981/07/09     2位
1981/07/16     2位
1981/07/23     1位
1981/07/30     1位
1981/08/06     3位
1981/08/13     3位
1981/08/20     3位
1981/08/27     4位
1981/09/03     5位
1981/09/10     6位
1981/09/17    10位
1981/09/24    14位
1981/10/01    18位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(59.8万枚)
1981年の年間11位。

この「ブルージーンズメモリー」は、近藤真彦さん主演の同名タイトル映画の主題歌でした。
近藤真彦さんの主演映画は「スニーカーぶる〜す」に続いて2作品目でした。

前曲の「ヨコハマ・チーク」では2位止まりでしたが、この「ブルージーンズメモリー」で再び1位に輝きました。
この曲は、当時大ヒット!
ザ・ベストテンでは10位以内にも13週と長くランクインしました。
近藤真彦さんの曲の中でも、インパクトがあります。

この曲の繋ぎの部分では、台詞があります。
「さよならなんて言えないよ、馬鹿野郎〜!」
この台詞が印象的です。

当時17歳の近藤真彦さんです。
17歳らしく、やんちゃ少年の様な発言が当時ザ・ベストテンでも多かったです。

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発売日:1987-06-03

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/8/3 金曜日

「ヨコハマ・チーク」〜近藤真彦

Filed under: 近藤真彦, 1981年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 0:38:24

「ヨコハマ・チーク」〜近藤真彦 最高2位(ベストテン内12週ランクイン)

マッチこと近藤真彦さんの「スニーカーぶる〜す」に続く、2曲目のザ・ベストテン登場曲。
この「ヨコハマ・チーク」では、1位を取れず2位止まり!

1981年3月26日に7位で初登場。
最高2位。
10位以内に12週。
20位以内に13週。
1981年の年間10位。

1981/03/26     7位
1981/04/02     5位
1981/04/09     3位
1981/04/16     3位
1981/04/23     2位
1981/04/30     3位
1981/05/07     3位
1981/05/14     3位
1981/05/21     4位
1981/05/28     4位
1981/06/04     5位
1981/06/11     8位
1981/06/18    14位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(52.1万枚)
1981年の年間20位。

この「ヨコハマ・チーク」では、ザ・ベストテンとオリコン共に2位止まりでしたが、52.1万枚のセールスは大ヒットと呼べます。
前回の「スニーカーぶる〜す」 が104.7万枚のセールスだった為、この「ヨコハマ・チーク」は若干、近藤真彦さんの曲の中では影に隠れるかもしれません。

近藤真彦さんとしては、1位を当然の様に狙っていたようで、ザ・ベストテンでも残念そうでした。
丁度、寺尾聰さんの「ルビーの指環」とヒット時が重なり、1位の壁は厚かったようです。

「ヨコハマ・チーク」は、近藤真彦楽曲の中では大人しめな曲です。
スニーカーぶる〜す」 の様な声を張り上げるタイプとは違った、明るいラブソング!
決して、不作な曲ではなかったと思います。
ザ・ベストテンの1981年の年間10位に入る位の大ヒットでした。

この頃、近藤真彦さんは、映画(だったかな?)の撮影中に腕の骨を折り、ギブスをはめてザ・ベストテンに登場した記憶があります。
後、海からの中継で、ジェットスキーをしながら「ヨコハマ・チーク」を歌ったこともありました!

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/7/15 日曜日

「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦

Filed under: 1位獲得曲, 1980年登場曲, 近藤真彦 — ベストテンマニア:K @ 1:36:02

「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦 最高1位4週(ベストテン内13週ランクイン)

たのきんトリオの近藤真彦さんの初登場。
ライバル田原俊彦さんに続いての登場!
この「スニーカーぶる〜す」でデビューし、ミリオンヒット!

1980年12月25日に3位でいきなりの初登場。
最高1位が4週。
10位以内に13週。
20位以内に15週。
1981年の年間9位。

1980/12/25     3位
1981/01/08     2位
1981/01/15     1位
1981/01/22     1位
1981/01/29     1位
1981/02/05     1位
1981/02/12     2位
1981/02/19     3位
1981/02/26     3位
1981/03/05     2位
1981/03/12     3位
1981/03/19     4位
1981/03/26     9位
1981/04/02    11位
1981/04/09    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(104.7万枚)。
1981年の年間3位でした。
この曲での売り上げ104.7万枚は、近藤真彦さん自己最高記録です。

近藤真彦さんは、マッチの愛称で80年代を駆け抜けた男性アイドル。
田原俊彦さんと共にTBSドラマ「3年B組金八先生」に生徒役で人気者になりました。
1980年に、たのきんトリオとして一世風靡し、このデビュー曲の「スニーカーぶる〜す」が初の大ヒット曲です。

近藤真彦さんは、当時から毒舌なトークが話題となってました。
相手が先輩であろうとどんな大御所であろうと、言いたいことを言ってしまう発言者でもありました。
そんなイメージから生意気とのレッテルもよく貼られることも多かったです。

この「スニーカーぶる〜す」は、失恋の曲でした。
デビュー曲が、マイナーな失恋歌なのも、当時としては、斬新だった様です。
それが、この曲のヒットを押し上げた要因でもあると思います。
近藤真彦さんは、当時流行ったツナギで登場。
スタンドマイクを使い、この曲を歌いました。

ザ・ベストテンには、1980年の最後の放送の12月25日に初出演。
いきなり3位での初登場で、新人としては当時異例のことでした。
歌手デビューの前に、たのきんトリオとしてブーム的な人気を誇り、正に鳴り物入りでのレコードデビューでした。

近藤真彦さんは、その後もザ・ベストテンの常連となり、特に1980年〜1981に出したシングルは全て50万枚以上の大ヒットを記録。
ザ・ベストテンでも1980年〜1983年まで、1位の常連となりました。

「スニーカーぶる〜す」「ヨコハマ・チーク」「ブルージーンズメモリー」「ギンギラギンにさりげなく」「情熱・熱風・せれなーで」「ふられてBANZAI」「ハイティーン・ブギ」「ホレたぜ!乾杯」「ミッドナイト・ステーション」「真夏の一秒」「ためいきロ・カ・ビ・リー」「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」「一番野郎」「ケジメなさい」「永遠に秘密さ」「ヨイショッ!」「夢絆」「大将」「純情物語」「青春」「Baby Rose」「愚か者」「さすらい」「泣いてみりゃいいじゃん」「Made in Japan」「あぁ、グッと」「夕焼けの歌」「Just For You」 の計28曲ザ・ベストテンにランクインしました。
その内、13曲が1位を獲得しました。

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近藤真彦さんのプロフィール
1964年7月19日生まれ。
1979年、10月放送開始のTBSのドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビュー。
1980年、田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手デビュー。
1981年、出す曲全て大ヒット。「ギンギラギンにさりげなく」でレコード大賞最優秀新人賞を受賞。紅白歌合戦に初出場。
1982年、前年に引き続き、ヒット曲を連発し、トップアイドルとしての不動の人気を得る。
1984年、芸能活動とは別にカーレーサーとしても活動を開始する。
1987年、「愚か者」でレコード大賞を受賞。
1988年、カーレーサーとして全日本F3選手権に参戦。
1989年、7月に中森明菜、松田聖子との三角関係のもつれから、当時の恋人であった中森が近藤の自宅マンションにおいて自殺未遂事件を起こす、というスキャンダルに巻き込まれる。以降、人気が低迷し表舞台から遠ざかる。
1996年、「ミッドナイトシャッフル」が久々の大ヒットを記録し、紅白歌合戦に再出場。
2005年、デビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリースし、芸能界への復帰を宣言。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した。

近藤真彦THE BEST
ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:1987-06-03
MATCHY BEST
ソニーミュージックエンタテインメント
発売日:2006-02-08

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

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