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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2008/1/14 月曜日

「誘惑スレスレ」〜田原俊彦

Filed under: 1位獲得曲, 田原俊彦, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 16:22:16

「誘惑スレスレ」〜田原俊彦 最高1位1週(ベストテン内10週ランクイン)

田原俊彦さんの「NINJIN娘」に続く、11曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年10月28日に7位で初登場。
最高1位を1週。
10位以内に10週。
20位以内に12週。
1982年の年間27位。

1982/10/28     7位
1982/11/04     3位
1982/11/11     1位
1982/11/18     2位
1982/11/25     2位
1982/12/02     2位
1982/12/09     3位
1982/12/16     5位
1982/12/23     6位
1982/12/30     9位
1983/01/06    14位
1983/01/13    17位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(38.3万枚)
1982年の年間44位(27.5万枚)

「男は顔じゃないよハートさ、女も顔じゃないよノリだぜ」
この始まりが印象的です。
「誘惑スレスレ」は、ノリの良いダンスミュージック的な曲。
田原俊彦さんのその後のイメージを形作った曲でもあります。

ザ・ベストテンでは「誘惑スレスレ」でザ・ベストテン6曲目の1位を獲得しました。
この曲でレコード大賞と紅白歌合戦に出場。

ザ・ベストテンでの中継で、番組内に出演が間に合わず、番組が終わってから中継場所に集まったファンのために「誘惑スレスレ」を披露したこともありました。
翌週、その時の模様がザ・ベストテン冒頭で流された記憶があります。

田原俊彦さんに取ってこの頃は、少年っぽいイメージから、大人っぽいセクシーなアイドルとしての成長した時期。
曲のダンスもどんどん難易度が高くなり、和製マイケル・ジャクソンとも言われた時期でした。
歌唱力も大分マシ(?)になってきたような?

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2008/1/10 木曜日

「約束」〜渡辺徹

Filed under: 1位獲得曲, 1982年登場曲, 渡辺徹 — ベストテンマニア:K @ 23:24:32

「約束」〜渡辺徹 最高1位4週(ベストテン内14週ランクイン)

俳優としてバラエティでも活躍している渡辺徹さんの初のザ・ベストテン登場曲です。
この「約束」は、CMソングとして当時大ヒットしました。

1982年10月21日に8位で初登場。
最高1位を4週。
10位以内に14週。
20位以内に15週。
1982年の年間15位。
1983年の年間100位圏外。

1982/10/14    14位
1982/10/21     8位
1982/10/28     6位
1982/11/04     4位
1982/11/11     3位
1982/11/18     1位
1982/11/25     1位
1982/12/02     1位
1982/12/09     1位
1982/12/16     2位
1982/12/23     3位
1982/12/30     3位
1983/01/06     4位
1983/01/13     4位
1983/01/20    10位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(54.3万枚)
1982年の年間33位(31.7万枚)
1983年の年間55位(22.6万枚)

渡辺徹 さんは、当時痩せていて二枚目俳優として「太陽にほえろ」に出演し大変人気がありました。
ブロマイドのセールスも男性陣ではたのきんトリオに迫るものがありました。
その最中に渡辺徹さんは歌手として「彼・ライバル」でデビューしました。
「約束」は、2曲目のシングルでした。
当時は、アイドル的にこの「約束」が大ヒット!
ザ・ベストテンでも1位を獲得し、14週とロングセラーを記録!
しかし、この曲がヒットしている最中に渡辺徹さんは激太り!
翌1983年には今の様な体型となり、アイドルとしては残念ながら失敗(?)に終わりました!(笑)

この「約束」は、小泉今日子と共演したグリコのCMソングとして大ヒットしました。
当初は、爽やかなイメージで女性からも人気が高かったです。
その反面、ザ・ベストテン等、音楽番組に出演することが多くなったことで、その三枚目的な発言やコミカルな一面が話題に!
爽やかイメージからコミカルなイメージへ、あっと言う間に転換され、体型もあっと言う間に変貌しお笑い系に!
この様な例は本当に珍しいことです。

「約束」ですが、青春をテーマにした硬派な曲でした。
この曲を歌う渡辺徹さんは、当時は本当に曲にイメージとピッタリでした。
ジャニーズ系と違った大人の雰囲気もありました。
そのまま地を出さず、体型も維持してたら今が違ってたかもしれません。(笑)

渡辺徹さんは、この曲のヒット中に3曲目のシングル「愛の中へ」もヒットし、2曲同時のベストテン入りを記録しました。
その2曲がザ・ベストテンランクイン曲です。
その他「AGAIN」「瞳・シリアス」「気になるあいつ」などのシングル曲があります。

そして1987年に榊原郁恵さんと結婚されました。

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渡辺徹さんのプロフィール
1961年、5月12日生まれ。
1980年、文学座附属演劇研究所に入所、翌年、同研究所を卒業して文学座研究生となる。
1981年、人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」のラガー刑事役で俳優デビュー。
1982年、「彼・ライバル」で歌手デビュー。2曲目のシングル「約束」がグリコ・アーモンドチョコレートのCMソングとなり大ヒットを記録。 続く「愛の中へ」もヒットする。
1983年、映画「夜明けのランナー」 で映画デビュー。
1984年、ドラマ「風の中のあいつ」に主演。
1985年、ドラマ「気になるあいつ」に主演。
1987年、榊原郁恵と結婚。
現在も俳優として、タレントとして活躍中。

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2008/1/3 木曜日

「ホレたぜ!乾杯」〜近藤真彦

Filed under: 1位獲得曲, 近藤真彦, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 21:18:57

「ホレたぜ!乾杯」〜近藤真彦 最高1位2週(ベストテン内12週ランクイン)

近藤真彦さんの「ハイティーン・ブギ」に続く、8曲目のザ・ベストテン登場曲です。

1982年10月14日に7位で初登場。
最高1位を2週。
10位以内に12週。
20位以内に15週。
1982年の年間16位。

1982/10/14     7位
1982/10/21     3位
1982/10/28     1位
1982/11/04     1位
1982/11/11     2位
1982/11/18     3位
1982/11/25     4位
1982/12/02     4位
1982/12/09     6位
1982/12/16     7位
1982/12/23     8位
1982/12/30     8位
1983/01/06    11位
1983/01/13    11位
1983/01/20    15位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(50.2万枚)
1982年の年間26位(37.4万枚)
1983年の年間99位(12.8万枚)

この頃の近藤真彦さんは、アイドルとして頂点の人気を誇り、1982年はシングル4曲の全てが1位を獲得し、その4曲全ては大ヒット!
2年連続ザ・ベストテン年間10位以内に3曲をチャートインさせました。
この「ホレたぜ!乾杯」も50万枚の大ヒット!
この曲でレコード大賞のゴールデンアイドル賞を受賞し、紅白歌合戦に2回目の出場!

この「ホレたぜ!乾杯」は、「ふられてBANZAI」とタイトルが似てて、曲調もなんとなく似ているような印象です。
とにかくインパクトを重視し、ツッパリ・マッチのイメージそのもの!
ハードに歌う近藤真彦さんが印象的でした。

確かこの曲の時に視聴者からのリクエストにより、視聴者の修学旅行先に近藤真彦さんが秘密で訪れ、突然現れてこの「ホレたぜ!乾杯」を歌った記憶があります。
当時、ザ・ベストテンはこの様な企画演出がありました。
今では、考えられないかもしれません。

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/12/24 月曜日

「すみれSeptember Love」〜一風堂

Filed under: 1曲のみのランクインアーチスト, 1位獲得曲, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:51:19

「すみれSeptember Love」〜 一風堂 最高1位1週(ベストテン内9週ランクイン)

一風堂のザ・ベストテン初登場曲です。
ボーカル&リーダーは土屋昌巳さんでした。

1982年10月7日に6位で初登場。
最高1位。
10位以内に9週。
20位以内に13週。
1982年の年間21位。

1982/09/23    15位
1982/09/30    15位
1982/10/07     6位
1982/10/14     2位
1982/10/21     1位
1982/10/28     2位
1982/11/04     2位
1982/11/11     5位
1982/11/18     6位
1982/11/25     7位
1982/12/02    10位
1982/12/09    11位
1982/12/16    15位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(45.2万枚)
1982年の年間21位(40.8万枚)

この「すみれSeptember Love」は、カネボウ化粧品の秋のテーマ曲としてCMで流され大ヒットしました。
当時、一風堂は、全くの無名で、ヒット直前まで謎とされてました。
この曲がヒットし、ボーカルの土屋昌巳さんがイギリスの世界的に人気だったニューウェイブバンドJAPAN(ジャパン)のメンバーだったこともあり、大きな話題に!
この「すみれSeptember Love」のヒット中、土屋昌巳さんはジャパンの世界ツアーに参加し、ザ・ベストテンへは海外からの中継(生ではなかった様な)で出演。
一風堂の他のメンバーも中継の為にロンドンへ出かけ、演奏すると言ったスタイルでした。

1位を獲得した回では、土屋昌巳さん以外のメンバーがスタジオに登場し、お祝いの餅つきを行いました。
この餅つき、ザ・ベストテン恒例で、当時から何故餅つき?との意見も多かったとか!
曲のイメージ全く合わず、それが笑いを取ってました。
それから土屋昌巳さんと研ナオコさんの顔が似ていると話題にもなりました。

「すみれSeptember Love」はいかにも80年代の音楽です。
テクノとニューウェイブの融合!
中国的なサウンドも取り入れ、当時人気だったYMOの影響も大きかったと思われます。
ちなみにこの曲1997年にSHAZNAによってカバーされ大ヒットしました。
一風堂を知らない世代にとって「すみれSeptember Love」と言うとSHAZNAと浮かぶ人も多いかもしれません。

当時の一風堂のメンバーは、土屋昌巳さん以外では、見岳章さん、藤井章司さん。
見岳章さんは、作曲家としても有名で、とんねるずの「雨の西麻布」や美空ひばりさんの「川の流れのように」などのヒット曲があります。
おニャン子クラブの「恋はくえすちょん 」やニャンギラスの「私は里歌ちゃん」もこの人でした。

一風堂は、ザ・ベストテンの5周年記念の特別番組に初めてスタジオ出演しました。
この時は、JAPAN(ジャパン)のメンバーも一緒に登場!
JAPANのメンバー達が、寺尾聡さんの12週連続1位記録の記念タバコを勝手に吸って、笑われた様な記憶があります。

一風堂と言うと「すみれSeptember Love」のヒット以外では一般的に知られず、一発屋だと思われてますが、マニアの間では伝説的なバンドでもあります。
特に洋楽ファンの間で評価が高く、当時のオリジナルアルバムはプレミア物らしいです。

一風堂は、その後メンバーが脱退したりして1984年に解散しました。
土屋昌巳さんは、その後プロデューサーとしても活躍。
TBSの深夜番組として大ヒットした「イカ天(イカスバンド天国)」の審査員を務めたこともありました。
プロディースしたアーチストは大物も多く含まれ、THE MODS、森山達也、小泉今日子、小比類巻かほる、藤井尚之、杏子、マルコシアス・バンプ、GLAY、THE BLANKEY JET CITY、中島美嘉、など大勢。

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一風堂のプロフィール。

土屋昌巳:ボーカル・ギター
見岳章:キーボード
赤尾敬文:ベース
藤井章司:ドラム

1979年、一風堂結成。
1980年、赤尾敬文が脱退。
1982年、シングル「すみれSeptember Love」がカネボウ化粧品のCMソングに起用され大ヒット。 アルバム「Lunatic Menu」をリリースしオリコン最高3位のヒット。その後、藤井章司が脱退。
1982年、アルバム「SOME-TIMES」をリリース。
1983年、アルバム「ナイトミラージュ」をリリース。
1984年、解散する。

ベリー・ベスト〜すみれSeptember Love
エピックレコードジャパン
発売日:1998-04-01

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/12/12 水曜日

「待つわ」〜あみん

Filed under: 1位獲得曲, 1982年登場曲, あみん — ベストテンマニア:K @ 22:51:10

「待つわ」〜あみん 最高1位4週(ベストテン内12週ランクイン)

あみんのザ・ベストテン初登場曲です。
1982年唯一ののミリオンセラーです。

1982年8月26日に6位で初登場。
最高1位を4週。
10位以内に12週。
20位以内に17週。
1982年の年間3位。

1982/08/12    19位
1982/08/19    13位
1982/08/26     6位
1982/09/02     4位
1982/09/09     4位
1982/09/16     2位
1982/09/23     1位
1982/09/30     1位
1982/10/07     1位
1982/10/14     1位
1982/10/21     2位
1982/10/28     4位
1982/11/04     7位
1982/11/11     9位
1982/11/18    12位
1982/11/25    17位
1982/12/02    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(109万枚)
1982年の年間1位(101.8万枚)

あみんは、岡村孝子さんと加藤晴子さんの二人のデュエット。
この「待つわ」がデビュー曲でもあり、最大のヒット曲でした。
ポプコンでグランプリを獲得したことがきっかけでデビューし、シングル発売と同時に大ヒットしました。

あみんと言うと、真面目で大人しいイメージが強いです。
軽い振り付けが印象的です。
あみんのグループ名は、さだまさしさんの楽曲から付けられたそうです。
「パンプキン・パイとシナモン・ティー」の歌詞の中に登場する喫茶店「安眠(あみん)」です。
年間ベストテンで3位で登場した時、さだまさしさんから激励の電話もありました。

あみんは、ザ・ベストテンでは毎週の様に出演し、1位も獲得。
この「待つわ」は、当時を知る人なら、歌詞を見なくても歌えるくらい大衆化しました。

「可愛い振りしてあの娘、割とやるもんだねと…」
この部分は、後にCMとかでパロディにも使われたりしました。

当時、ヤマハのポピュラーソングコンテスト(もしくは世界音楽祭)でグランプリ獲得すれば、既にヒットを公約された様なものです。
「待つわ」は、その中でも群を抜いて大ヒット!
文字通り、1982年のナンバーワンヒットでした。
80年代を代表するヒット曲とも言えるでしょう!
1982年の紅白歌合戦にも初出場しました。

あみんは、この「待つわ」以降、「琥珀色の想い出」で再びザ・ベストテンに登場します。
その他「心こめて愛をこめて」「おやすみ」等のシングル曲があります。

あみんは、1983年に解散し、岡村孝子さんはソロ活動、加藤晴子さんは芸能界を引退。
岡村孝子さんは、80年代後半にはソロシンガーとしてカリスマ的な地位を築き、90年代にかけて大活躍しました。
2007年、再びあみんが再結成し、話題となります。

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あみんのプロフィール
岡村孝子、1962年1月29日生まれ。
加藤晴子、1963年1月2日生まれ。

1981年、第22回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に「琥珀色の想い出」で出場し、中部北陸大会で優秀曲賞を受賞。本選(全国大会)へはアラジンの「完全無欠のロックンローラー」が選ばれ不出場となる。
1982年、再びポプコンに挑み「待つわ」でグランプリを獲得。レコードデビューし大ヒットを記録。紅白歌合戦に初出場。
1983年、ファーストアルバム「P.S.あなたへ…」をリリースする。セカンドアルバム「メモリアル」をリリースした直後解散する。
加藤晴子は引退し、学業に専念。その後OLを経て主婦となる。
岡村孝子はソロとして活動し、「夢をあきらめないで」が話題となり、女性ソロアーチストとして人気者となる。
2007年、あみん再結成。25年ぶりに紅白歌合戦に再出場。

ベスト
キング
発売日:2003-03-26

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

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