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管理人より
最近、更新が滞り申し訳ありません。今年に入り気が向いたときに更新している状態です。コメントの返事は遅れますので御承知下さい。

2007/7/16 月曜日

1980年ザ・ベストテン年間ランキング

Filed under: *年間ベストテン記録, 1980年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 1:19:25

ザ・ベストテン3年目の1980年。
1980年の1年間の間で、64曲がザ・ベストテンにランクインしました。
アイドル、歌謡曲、ニューミュージック、演歌…、多ジャンルのごった煮の様な1980年でした。

ザ・ベストテンの1980年の年間トップ50は、以下の通り。
()内はオリコンの年間チャート。

01位(21位) 「倖せさがして」〜五木ひろし
02位(01位) 「ダンシング・オールナイト」〜もんた&ブラザーズ
03位(08位) 「別れても好きな人」〜ロス・インディオス&シルビア
04位(03位) 「大都会」〜クリスタルキング
05位(05位) 「順子」〜長渕剛
06位(10位) 「哀愁でいと」〜田原俊彦
07位(06位) 「贈る言葉」〜海援隊
08位(19位) 「パープルタウン」〜八神純子
09位(04位) 「ランナウェイ」〜シャネルズ
10位(33位) 「私はピアノ」〜高田みづえ               
11位(71位) 「ふたりの夜明け」〜五木ひろし               
12位(07位) 「おまえとふたり」〜五木ひろし               
13位(46位) 「How many いい顔」〜郷ひろみ               
14位(09位) 「さよなら」〜オフコース               
15位(12位) 「昴」〜谷村新司                
16位(15位) 「青い珊瑚礁」〜松田聖子                
17位(16位) 「蜃気楼」〜クリスタルキング            
18位(22位) 「ハッとして!Good」〜田原俊彦                
19位(13位) 「とまり木」〜小林幸子                
20位(39位) 「TOKIO」〜沢田研二                
21位(24位) 「唇よ 熱く君を語れ」〜渡辺真知子               
22位(40位) 「ロックンロール・ウィドゥ」〜山口百恵                
23位(48位) 「謝肉祭」〜山口百恵                
24位(26位) 「雨の慕情」〜八代亜紀                
25位(41位) 「さよならの向こう側」〜山口百恵                
26位(14位) 「風は秋色」〜松田聖子                
27位(20位) 「秋止符」〜アリス                 
28位(73位) 「セクシー・ユー」〜郷ひろみ               
29位(02位) 「異邦人」〜久保田早紀               
30位(63位) 「愛の園」〜西城秀樹                
31位(53位) 「悲しき友情」〜西城秀樹                
32位(56位) 「恋人よ」〜五輪真弓                
33位(34位) 「恋」〜松山千春                
34位(82位) 「セクシーナイト」〜三原順子                
35位(86位) 「恋のバッド・チューニング」〜沢田研二                
36位(35位) 「Yes.No」〜オフコース               
37位(18位) 「防人の詩」〜さだまさし               
38位(圏外)  「酒場でDABADA」〜沢田研二                
39位(45位) 「人生の空から」〜松山千春                
40位(96位) 「タブー(禁じられた愛)」〜郷ひろみ               
41位(38位) 「狂った果実」〜アリス                 
42位(30位) 「不思議なピーチパイ」〜竹内まりや               
43位(89位) 「ヤング・ボーイ」〜河合奈保子               
44位(69位) 「愛染橋」〜山口百恵                
45位(32位) 「南回帰線」〜滝ともはる・堀内孝雄          
46位(99位) 「俺たちの時代」〜西城秀樹                
47位(83位) 「LOVE SONG」〜ツイスト                
48位(11位) 「SACHIKO」〜ばんばひろふみ             
49位(圏外)  「サンタマリアの祈り」〜西城秀樹                
50位(37位) 「ジェニーはご機嫌ななめ」〜ジューシー・フルーツ

1980年の年間1位は、五木ひろしさんの「倖せさがして」でした。
五木ひろしは、11位に「ふたりの夜明け」、12位に「おまえとふたり」がランクインし、この年最も活躍した演歌歌手でした。

2位のもんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」も大健闘しました。
オリコンの1980年の年間では、1位を獲得しました。

その他、この1980年はニューミュージック系のヒット曲が目立ちます。
クリスタルキングの「大都会」長渕剛さんの「順子」海援隊の「贈る言葉」シャネルズの「ランナウェイ」八神純子さんの「パープルタウン」オフコースの「さよなら」等が大ヒット!
今でも名曲として語られるタイプの曲が、この年に集中しています。
ニューミュージックも世代交代の時期で、この年にブレイクしたアーチストも多かったです。

アイドルも世代交代の年でした。
この年、たのきんトリオとしてブレイクした田原俊彦さんと近藤真彦さん。
ポスト山口百恵として脚光を浴びた松田聖子さん、三原順子さん、河合奈保子さん。
岩崎宏美さんの妹の岩崎良美さん。
この1980年にデビューし、ブレイクしたアイドル達も大健闘しました。

それまでの新御三家の西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさん達も、80年組アイドルの追い風の中、それぞれベストテンに曲をランクインさせ検討したと思います。

特にこの年は、山口百恵さんの引退が一番の大きな話題でしょう!
年間チャートでは、意外にも検討しませんでしたが、いずれも曲の評価は高いと思われます。
彼女に憧れて、80年代にデビューしたアイドルもその後大勢登場することになります。

ザ・ベストテンは、この1980年が特に高視聴率を記録し、もっともブレイクした時代でもあります。
多ジャンルのアーチストがブレイクし、70年代活躍していたアーチスト達と順位を競い合ったり!
日本の音楽シーンが最も面白かった時代さったのかもしれません。
年間チャートでも、垣間見ることが出来ます。

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フォーク歌年鑑1980 Vol.1-フォーク&ニューミュージック大全集(18)-

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/7/15 日曜日

「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦

Filed under: 1位獲得曲, 1980年登場曲, 近藤真彦 — ベストテンマニア:K @ 1:36:02

「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦 最高1位4週(ベストテン内13週ランクイン)

たのきんトリオの近藤真彦さんの初登場。
ライバル田原俊彦さんに続いての登場!
この「スニーカーぶる〜す」でデビューし、ミリオンヒット!

1980年12月25日に3位でいきなりの初登場。
最高1位が4週。
10位以内に13週。
20位以内に15週。
1981年の年間9位。

1980/12/25     3位
1981/01/08     2位
1981/01/15     1位
1981/01/22     1位
1981/01/29     1位
1981/02/05     1位
1981/02/12     2位
1981/02/19     3位
1981/02/26     3位
1981/03/05     2位
1981/03/12     3位
1981/03/19     4位
1981/03/26     9位
1981/04/02    11位
1981/04/09    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(104.7万枚)。
1981年の年間3位でした。
この曲での売り上げ104.7万枚は、近藤真彦さん自己最高記録です。

近藤真彦さんは、マッチの愛称で80年代を駆け抜けた男性アイドル。
田原俊彦さんと共にTBSドラマ「3年B組金八先生」に生徒役で人気者になりました。
1980年に、たのきんトリオとして一世風靡し、このデビュー曲の「スニーカーぶる〜す」が初の大ヒット曲です。

近藤真彦さんは、当時から毒舌なトークが話題となってました。
相手が先輩であろうとどんな大御所であろうと、言いたいことを言ってしまう発言者でもありました。
そんなイメージから生意気とのレッテルもよく貼られることも多かったです。

この「スニーカーぶる〜す」は、失恋の曲でした。
デビュー曲が、マイナーな失恋歌なのも、当時としては、斬新だった様です。
それが、この曲のヒットを押し上げた要因でもあると思います。
近藤真彦さんは、当時流行ったツナギで登場。
スタンドマイクを使い、この曲を歌いました。

ザ・ベストテンには、1980年の最後の放送の12月25日に初出演。
いきなり3位での初登場で、新人としては当時異例のことでした。
歌手デビューの前に、たのきんトリオとしてブーム的な人気を誇り、正に鳴り物入りでのレコードデビューでした。

近藤真彦さんは、その後もザ・ベストテンの常連となり、特に1980年〜1981に出したシングルは全て50万枚以上の大ヒットを記録。
ザ・ベストテンでも1980年〜1983年まで、1位の常連となりました。

「スニーカーぶる〜す」「ヨコハマ・チーク」「ブルージーンズメモリー」「ギンギラギンにさりげなく」「情熱・熱風・せれなーで」「ふられてBANZAI」「ハイティーン・ブギ」「ホレたぜ!乾杯」「ミッドナイト・ステーション」「真夏の一秒」「ためいきロ・カ・ビ・リー」「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」「一番野郎」「ケジメなさい」「永遠に秘密さ」「ヨイショッ!」「夢絆」「大将」「純情物語」「青春」「Baby Rose」「愚か者」「さすらい」「泣いてみりゃいいじゃん」「Made in Japan」「あぁ、グッと」「夕焼けの歌」「Just For You」 の計28曲ザ・ベストテンにランクインしました。
その内、13曲が1位を獲得しました。

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近藤真彦さんのプロフィール
1964年7月19日生まれ。
1979年、10月放送開始のTBSのドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビュー。
1980年、田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手デビュー。
1981年、出す曲全て大ヒット。「ギンギラギンにさりげなく」でレコード大賞最優秀新人賞を受賞。紅白歌合戦に初出場。
1982年、前年に引き続き、ヒット曲を連発し、トップアイドルとしての不動の人気を得る。
1984年、芸能活動とは別にカーレーサーとしても活動を開始する。
1987年、「愚か者」でレコード大賞を受賞。
1988年、カーレーサーとして全日本F3選手権に参戦。
1989年、7月に中森明菜、松田聖子との三角関係のもつれから、当時の恋人であった中森が近藤の自宅マンションにおいて自殺未遂事件を起こす、というスキャンダルに巻き込まれる。以降、人気が低迷し表舞台から遠ざかる。
1996年、「ミッドナイトシャッフル」が久々の大ヒットを記録し、紅白歌合戦に再出場。
2005年、デビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリースし、芸能界への復帰を宣言。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した。

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/7/12 木曜日

「ひとり上手」〜中島みゆき

Filed under: 中島みゆき, 1980年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 22:41:02

「ひとり上手」〜中島みゆき 最高7位(ベストテン内5週ランクイン)

中島みゆきさんの「わかれうた」に続く、2曲目のザ・ベストテン登場曲です。
中島みゆきさんは、約3年ぶりのザ・ベストテンにランクインされました。

1980年12月25日に9位で初登場。
最高7位。
10位以内に5週。
20位以内に14週。
1980年、1981年共に年間50位圏外でした。

1980/11/13    18位
1980/11/20    18位
1980/11/27    15位
1980/12/04    12位
1980/12/11    13位
1980/12/18    11位
1980/12/25     9位
1981/01/08     9位
1981/01/15     8位
1981/01/22     7位
1981/01/29    10位
1981/02/05    15位
1981/02/12    15位
1981/02/19    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高6位(44.4万枚)
1980年の年間100位圏外。
1981年の年間36位(37.2万枚)でした。

中島みゆきさんは、記念すべきザ・ベストテンの第1回放送で「わかれうた」が4位にランクインされ、初の番組出演拒否をし、その印象を強く視聴者に与えました。
それ以降、テレビに出ないイメージが定着しました。
この「ひとり上手」でも、もちろん出演は無しで、司会の久米宏さんの「中島みゆきさんは、今LPの制作に忙しく…!」と言った内容のコメントが多かったです。

「ひとり上手」は、44.4万枚の大ヒット曲です。
当時、ラジオで多く流され、サビの「ひとり上手と呼ばないで、ひとりが好きな訳じゃないのよ」のインパクトが強く、当時の印象が今も残ってます。

ラジオと言えば、この頃、中島みゆきさんはニッポン放送の深夜の人気番組「中島みゆきのオールナイト・ニッポン」のDJをしていた頃です。
この「中島みゆきのオールナイト・ニッポン」が当時大人気で、テレビに一切出演しない中島みゆきさんのコンサート以外の唯一のメディアからの発言枠でした。
当時の中島みゆきさんの曲は、“暗い”“重い”と言った表現が多く使われ、メディアにも滅多に登場しない為、ニューミュージック界でもミステリアスな存在でした。
この「中島みゆきのオールナイト・ニッポン」では、曲のイメージの正反対を往く明るい弾けたイメージです。
語り口も軽く、笑いの絶えない番組で、当時この番組を聴いていた方も大勢居ることと思います。

当時は、学校での校内暴力や家庭崩壊がニュースで囁かれ始めた時代で、そんな時代にあえてラジオで「家族の肖像(家庭での面白い出来事)」や「真夜中の職員会議(学校での面白い出来事)」の等のコーナーを設置し、これらのコーナーも大人気でした。
中島みゆきさんらしい、ラジオの番組作りが好評でした。
この「ひとり上手」もその後、恥ずかしい失敗談をテーマとした「ひとり上手っ子コーナー」として、大人気コーナーになりました。

「オールナイト・ニッポン」で、中島みゆきさんは更にカリスマ性を強め多くのファンを築きました。
この「ひとり上手」の頃は、「わかれうた」の頃の中島みゆきさんとは違ったラジオでの明るいイメージも備わった、更にミステリアスでカリスマ性の強いアーチストとして根強い人気を誇ってました。

「ひとり上手」以降、1981年にアルバム「臨月」からのシングルカット曲「あした天気になれ」が20位圏外でした。
同じ1981年の暮れに「悪女」が大ヒットし、再びザ・ベストテンにランクインします。

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/7/11 水曜日

「万里の河」〜チャゲ&飛鳥

Filed under: 1980年登場曲, チャゲ&飛鳥 — ベストテンマニア:K @ 22:51:38

「万里の河」〜チャゲ&飛鳥 最高4位(ベストテン内9週ランクイン)

チャゲ&飛鳥のザ・ベストテン初登場曲がこの「万里の河」でした。
初の大ヒット曲でもあります。
現在は、CHAGE&ASKAに改名。

1980年12月18日に8位で初登場。
最高4位。
10位以内に9週。
20位以内に17週。
1980年の年間50位圏外。
1981年の年間38位。

1980/11/27    20位
1980/12/04    19位
1980/12/11    15位
1980/12/18     8位
1980/12/25    12位
1981/01/08     4位
1981/01/15     6位
1981/01/22     8位
1981/01/29     6位
1981/02/05     6位
1981/02/12     6位
1981/02/19     7位
1981/02/26    10位
1981/03/05    11位
1981/03/12    11位
1981/03/19    13位
1981/03/26    17位

オリコンチャートでは、最高6位(53.7万枚)
1980年の年間100位圏外。
1981年の年間 26位(47.4万枚)

チャゲ&飛鳥は、1979年に「ひとり咲き」 でデビューし、一部の間で話題となりました。
この「万里の河」の大ヒットで世間に知られるようになりました。

この「万里の河」は、中国をイメージさせた曲です。
黄河や揚子江等、中国の大河をもイメージさせます。
当時、海外をテーマにした曲がたくさんヒットしていた時代で、この曲も異国情緒を感じさせる名曲として当時から親しまれていました。
後に大ヒット曲を連発したCHAGE&ASKAとは、イメージが異なります。
(同じ人達です。)

当時、チャゲ&飛鳥は、完全なフォークデュオでした。
この曲で、ザ・ベストテンに登場した時は、普段着そのもの!
セーターにジーンズと言った装い。
当時のフォークグループらしいスタイルでした。

CHAGE&ASKAとなった頃から、ポップス&ロックなイメージへと転換。
洗礼された感じもありましたが、この「万里の河」での素朴なフォークデュオのチャゲ&飛鳥も魅力的でした。

その後、チャゲさんは、石川優子さんと組んで1984年に発表した「ふたりの愛ランド」が大ヒットし、ザ・ベストテンにも登場。
飛鳥さんは、光GENJIの作詞作曲を担当し「STAR LIGHT」「ガラスの十代」「パラダイス銀河 」等を大ヒットさせました。

チャゲ&飛鳥としては、その後「放浪人」「男と女」「熱い想い」「マリオネット」とシングルを出し、いずれも中ヒットクラスでベストテンには無縁でした。
1986年に「モーニング ムーン」がヒットし、再びザ・ベストテンに登場。
チャゲ&飛鳥は計2曲が、ザ・ベストテンにランクインしました。

CHAGE&ASKAとなったザ・ベストテン終了後、「太陽と埃の中で」「SAY YES」「僕はこの瞳で嘘をつく」「WALK」「LOVE SONG」「if」「no no darlin’」「YAH YAH YAH」「Sons and Daughters」「HEART」「めぐり逢い」と主に90年代になってから、大ヒットを連発しました。
ミリオンやダブルミリオン曲も多く、カリスマ的なアーチストに成長し、アジア各国でも人気アーチストとして大活躍しました。

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チャゲ&飛鳥のプロフィール
1978年、ヤマハ第16回ポピュラーソングコンテストに出場しで、「流恋情歌」で入賞。
1979年、8月25日「ひとり咲き」でレコードデビュー。
1980年、「万里の河」が大ヒットする。
1984年、石川優子&チャゲとして「ふたりの愛ランド」がヒットする。
1985年、「モーニングムーン」がヒットする。
1987年、飛鳥作詞作曲の光GENJIへの提供曲が次々と大ヒットする。
1989年、シングル「LOVE SONG」発売の際に正式表記を英語表記のCHAGE&ASUKAに変更。半年間活動を休止。
1991年、フジテレビ系ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌「SAY YES」がオリコンチャート13週連続1位を獲得し、282.2万枚の大ヒットを記録。アルバム「TREE」が発売2週目でミリオンセラー達成、当時史上最高のセールスを記録。続く「僕はこの瞳で嘘をつく」がオリコン初登場1位となる。ASKAはこの年ソロでも「はじまりはいつも雨」でミリオンセラーを達成。
1992年、第6回日本ゴールドディスク大賞7部門中6部門独占受賞する。アルバム「SUPER BEST II」が300万枚を超える売り上げを記録。
1993年、フジテレビ系ドラマ「振り返れば奴がいる」の主題歌「YAH YAH YAH」が241.9万枚の大ヒットを記録。
1994年、初のアジアツアー「ASIAN TOUR 1994」を敢行し、香港・シンガポール・台湾で合計6万人を動員。
1995年、二度目のアジアツアー「ASIAN TOUR II MISSION IMPOSSIBLE」を敢行。
1996年、アジア出身者としては初めて「MTV UNPLUGGED LIVE」へ出演。
1999年、故郷福岡の地で初のドーム公演にして初のカウントダウンライブ「千年夜一夜ライブ -福岡ドーム 僕らがホーム-」を行う。
2000年、大規模な韓国公演を敢行。

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CHAGE & ASKA - 熱風 - 万里の河
↑チャゲ&飛鳥の曲のダウンロードが出来ます。(視聴可能)

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

2007/7/10 火曜日

「大阪しぐれ」〜都はるみ

Filed under: 1980年登場曲, 都はるみ — ベストテンマニア:K @ 21:24:04

「大阪しぐれ」〜都はるみ 最高6位(ベストテン内7週ランクイン)

演歌の大御所!都はるみさんの初のザ・ベストテンの登場です。
「大阪しぐれ」は、当時ミリオンセラーの大ヒット曲でした。

1980年12月18日に9位で初登場。
最高6位。
10位以内に7週。
20位以内に14週。
1980年の年間50位圏外。
1981年の年間28位。

1980/11/27    19位
1980/12/04    16位
1980/12/11    12位
1980/12/18     9位
1980/12/25     7位
1981/01/08     7位
1981/01/15     7位
1981/01/22     6位
1981/01/29     9位
1981/02/05    10位
1981/02/12    14位
1981/02/19    15位
1981/02/26    17位
1981/03/05    19位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高2位(114.6万枚)
1980年の年間49位(28.3万枚)
1981年の年間6位(86.1万枚)

ザ・ベストテンのチャートだけでは、ミリオンセラーは意外に思われます。
しかし、20位圏外に長く留まっていたものと思われます。

この曲は、1980年の2月に発売以来、じわじわチャートを上げ、1980年の暮れになってからベストテン入りしました。
オリコンでは、最高2位まで上がり、主にレコード売り上げで検討しました。

「大阪しぐれ」は、都はるみさんにとって1976年の「北の宿から」以来の大ヒット曲でした。
1980年のレコード大賞にて、最優秀歌唱賞も受賞しました。
ザ・ベストテンにランクインされ、ご本人も嬉しそうでした。
しかし、引退後にある番組で、都はるみさん自身この「大阪しぐれ」はそれ程好きな曲では無かったとの発言もありました。

都はるみさんは、ザ・ベストテン開始前の10年以上前、1964年にデビューしました。
2曲目の「アンコ椿は恋の花」が初の大ヒット曲です。
「涙の連絡船」「好きになった人」等のヒット曲があり、1976年「北の宿から」が143.5万枚のミリオンセラーの大ヒットで、レコード大賞を受賞しています。
この「大阪しぐれ」が2曲目のミリオンセラー曲です。
ちなみに演歌歌手のミリオンヒットを2曲持っているのは、都はるみさんだけです。

翌1981年には、「浮草ぐらし」がベストテンにランクインしなかったものの16.9万枚のヒット。
同じ1981年には、「ふたりの大阪」もベストテンランク外ですが、ロングセラーとなり26.3万枚の大ヒット。
1983年には、岡千秋さんとのデュエット曲の「浪花恋しぐれ」が最高12位で、この曲もロングセラーとなり70.3万枚の大ヒットを記録。
そして、1984年に引退宣言し、現役最後の曲「夫婦坂」が引退直後の1985年にザ・ベストテンで10位にランクインします。
この時は、引退後であった為、都はるみさんの出演は叶いませんでした。
(直前にスポットライトコーナーに出演しました。)

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都はるみさんのプロフィール
1948年2月22日生まれ
本名:北村春美(きたむら はるみ)。
1964年、「困るのことヨ」でレコードデビュー。同年「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、レコード大賞最優秀新人賞を獲得。
1965年、「涙の連絡船」が大ヒットし、紅白歌合戦に初出場。
1968年、「好きになった人」がヒット。
1976年、「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞する。
1980年、「大阪しぐれ」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。
1981年、「浮草ぐらし」と「ふたりの大阪」の2曲がロングヒット。
1983年、「浪花恋しぐれ」が大ヒット。
1984年、突然引退宣言し、この年の紅白歌合戦を最後に引退する。
1987年、音楽プロデューサーとして活動再開。新人女性演歌歌手・大和さくらをデビューさせる。
1989年、紅白歌合戦に出場し、復活のきっかけとなる。
1990年、歌手復帰。従来の演歌にとらわれない幅広い作品も歌うようになる。
2004年、デビュー40周年を迎え、コンサートなど精力的な活動を続けている。

都はるみゴールデンベスト
コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2006-06-21
ゴールデンベスト
コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2002-05-18

ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

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