「少女A」〜中森明菜
「少女A」〜中森明菜 最高3位(ベストテン内11週ランクイン)
中森明菜さんのザ・ベストテン初登場曲です。
松田聖子さんの唯一のライバルと呼べるスーパーアイドルの登場です。
1982年9月16日に9位で初登場。
最高3位。
10位以内に11週。
20位以内に15週。
1982年の年間12位。
1982/09/02 20位
1982/09/09 13位
1982/09/16 9位
1982/09/23 9位
1982/09/30 9位
1982/10/07 7位
1982/10/14 4位
1982/10/21 4位
1982/10/28 3位
1982/11/04 5位
1982/11/11 6位
1982/11/18 7位
1982/11/25 10位
1982/12/02 14位
1982/12/09 17位
オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高5位(39.6万枚)
1982年の年間34位(31.0万枚)
中森明菜さんは、スター誕生のグランドチャンピオンにて山口百恵さんの「夢前案内人」を歌い史上最高得点で合格し1982年5月に「スローモーション」でデビューしました。
当初、「スローモーション」はバラード曲だったこともあり、他の82年組アイドル達に比べ目立たない存在でした。
(「スローモーション」はその後ロングヒットを記録)
ガラッとイメージチェンジした2曲目のシングル「少女A」で頭角を表し、じわじわヒットチャートを駆け上がり大ヒット!
82年組アイドルの中では、松本伊代さん、シブがき隊に続く3組目のザ・ベストテンに登場しました。
この頃の中森明菜さんはポッチャリ体型で、後にミュージックステーションにて、昭和58年で58キロ!と発言してました。
そんなポッチャリ体型から一気に痩せ型に変貌!
この変化も中森明菜伝説の一つでしょう!
この曲は、所謂ツッパリソングとして有名で、中森明菜さんのその後のイメージに大きな影響を与えることになりました。
とかくツッパリ少女のレッテルを貼られ、本人も苦労したとか!
「少女A」の歌詞が過激と言うことでNHKで歌われなかったことも有名です。
ザ・ベストテンでは10位以内に11週とロングヒット!
最高3位まで上がり、1982年の代表曲として大ヒット!
初登場時、ミラーゲートから現れた中森明菜さんは、緊張しすぎてトイレに行きたくなったとのコメントがありました。
「少女A」の作詞は売野雅勇さん、作曲は芹澤廣明さん。
この二人はその後80年代を代表する作詞家・作曲家として大活躍します。
このコンビは主にチェッカーズの初期のヒット曲で知られています。
中森明菜さんは、82年組アイドルとして一気に頂点に登りますが、何故かこの年の音楽祭の新人賞とは縁が薄く、特にレコード大賞の新人賞5枠から外されて大きな話題になりました。
紅白歌合戦でも残念なファら落選!
当時の所属事務所の研音が、当時小さかったことが影響されたらしいです。
その後は、レコード大賞をアイドル歌手として初の2年連続で獲得したり、デビュー時のこのことが嘘の様に大活躍でした。
中森明菜さんは、ザ・ベストテンの記録を多数残しています。
まず1位獲得曲ではトータル69週の1位!
これはベストテン12年の歴史の内、全体の約9週に1度の割合で中森明菜さんが1位だったことになります。
これは凄い記録です。
トータル17曲の1位獲得!
これもザ・ベストテンでは中森明菜さんが最多1位獲得アーチストと言うことになります。
そして、1983年〜1988年まで全ての年間ベストテンにランクイン!
年間ベストテンのランクイン曲数も8曲とこれも最多です。
記録からも垣間見られる様に、ザ・ベストテンの女王的存在でした。
中森明菜さんは、次のシングル「セカンド・ラブ」で初の1位を獲得します。
以降、出す曲全てが大ヒットし、松田聖子さんと共に80年代を代表するスーパーアイドル
山口百恵さんに憧れてデビューしたアイドルは多数いましたが、一番成功したのが中森明菜さんでした。
シングルを出す度に歌唱力もアップし、アイドルからシンガーへと成長します。
トップスターならではのスキャンダルもたくさんありましたが、今でも健在で「歌姫」シリーズやアルバムがオリコンのトップ10にランクインされたり、80年代出身で活躍している数少ないアーチストの1人です。
ザ・ベストテンランクイン曲は、「少女A」「セカンド・ラブ」「1/2の神話」「トワイライト」「禁区」「北ウイング」「サザン・ウインド」「十戒(1984)」「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ」「赤い鳥逃げた」「SAND BEIGE」「SOLITUDE」「DESIRE」「ジプシー・クイーン」「Fin」「TANGO NOIR」「Blonde」「難破船」「AL-MAUJ」「TATTOO」「I MISSED “THE SHOCK”」「LIAR」の計23曲。
「少女A」「赤い鳥逃げた」「SAND BEIGE」「SOLITUDE」「I MISSED “THE SHOCK”」「LIAR」以外は全て1位を獲得しました。(計17曲)
ザ・ベストテン終了後、「Dear Friend」「水に挿した花」「二人静−天河伝説殺人事件より」と3曲が大ヒットしました。
その他、「月華」「原始、女は太陽だった」「MOONLIGHT SHADOW〜月に吠えろ」「帰省〜Never Forget〜」「赤い花」「花よ踊れ」などのシングル曲を発表します。
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中森明菜さんのプロフィール
1965年、7月13日生まれ。
1981年、スター誕生にて山口百恵の「夢前案内人」を歌い最高得点を出し話題となる。
1982年、5月1日「スローモーション」で歌手デビュー。2曲目の「少女A」が初のトップテン入りし大ヒット。「セカンド・ラブ」では最高1位を記録し、自身最大のヒット曲となる。レコード大賞新人賞の5枠から小泉今日子と共に落選し話題になる。
1983年、「1/2の神話」「トワイライト」「禁区」と立て続けに大ヒット。レコード大賞ゴールデンアイドル賞とTBS賞を受賞。紅白歌合戦に初出場。
1984年、「十戒(1984)」で日本テレビ音楽祭グランプリを獲得。「北ウィング」でレコード大賞ゴールデンスター賞を獲得。井上陽水作詞作曲「飾りじゃないのよ涙は」が話題曲となり自身の代表曲として大ヒット。近藤真彦と共演した映画「愛・旅立ち」が話題となる。
1985年、「ミ・アモーレ」でレコード大賞を獲得。アルバム「D404ME」で優秀アルバム賞を受賞。この頃から独自のビブラートの効いた歌唱法を確立。
1986年、「DESIRE」で2年連続レコード大賞を獲得。その他ベストアーチスト賞をダブル受賞。自身がプロデュースしたアルバム「不思議」の奥に引っ込んだエコーの効いたボーカルが話題となり、その斬新さでアーチスト性も話題になる。
1987年、加藤登紀子作詞作曲の「難破船」で「セカンド・ラブ」以来のバラードに挑戦。全曲英語詞のアルバム「Cross My Palm」を発表。レコード大賞大衆賞とアルバム「クリムゾン」で優秀アルバム賞を受賞。第1回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーを受賞。
1988年、「TATOO」でのミニスカートが話題となる。レコード大賞にて金賞にノミネートされるが辞退する。
1989年、近藤真彦の自宅マンションにて自殺未遂事件を起こし社会現象的なニュースとなる。約1年間歌手休業する。
1990年、シングル「Dear Friend」で復帰し大ヒットする。
1991年、シングル「二人静−天河伝説殺人事件より」がヒット。幕張イベントホールで2年ぶりにコンサートを行う。以降2年間シングルアルバムとも発表が無く歌手活動を休止する。
1992年。フジテレビのドラマ「素顔のままで」で初の連ドラ主演し高視聴率を記録。
1993年、レコード会社を移籍し再び歌手活動を再開する。アルバム曲の小室哲哉作曲「愛撫」が有線にて1位を記録。
1994年、PARCO劇場にて4年振りにライブを開催。
1997年、9年ぶりに全国ツアーを開催。
1998年、日本テレビのドラマ「冷たい月」に主演し復讐者の演技が話題になる。主題歌「帰省〜Never Forget〜」がファンの間で名曲とされ話題になる。
1999年、日本テレビのドラマ「ボーダー 犯罪心理捜査ファイル」に主演。所属事務所とレコード会社のトラブルが多発。
2001年、インディーズレーベルにて、シングル「It’s brand new day」を発表。
2002年、カバーアルバム「ZERO album-歌姫2」が大ヒット。松田聖子の「瑠璃色の地球」、山口百恵の「秋桜」などをカバーし話題となる。久々にオリジナルアルバム「Resonancia」を発表。14年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場。
2006年、7年ぶりに連続テレビドラマ「プリマダム」に主演。
2007年、演歌を中心としたカバーアルバム「艶華 -Enka-」を発表し、レコード大賞企画賞を受賞。






ついに来ました、80年代のスーパーアイドル、中森明菜の登場ですね!
「あなたは聖子派?明菜派?」と当時からよく言われましたが、t−mは今昔問わず、迷わずに明菜派と答えます!(笑)
かつて松田聖子がデビューした頃「ポスト百恵」と言われていたようですが、やはりあの頃の聖子さんのイメージは、山口百恵さんとは全く違っていましたよね。百恵さんが引退して2年、ようやく明菜さんが「ポスト百恵」にふさわしいアイドル歌手としての登場だったのだ、と思っています。
また、松田聖子の曲がいつも長調、明るく楽しい曲だったのに比べ、中森明菜の曲はいつも短調、暗く哀しい曲が殆どでしたよね。こういう所からも、明菜さんの関係者達は、聖子さんに対してかなりのライバル心を持っていたのだろうと思われます。
でもデビュー曲の「スローモーション」がいまいちヒットせずベストテン入りならず、その次の「少女A」でベストテン入りするも最高で3位ですか。
当時はそれほど目立たなかった明菜さんが、次の曲で大ブレイクするとは、誰が想像していたのでしょうねえ(^_^;;
コメント by t−m — 2007/12/17 月曜日 @ 23:34:00
松田聖子さんが太陽なら、中森明菜さんは月ですね。
この頃のアイドルは、聖子チックなスタイルと曲でポスト聖子を目指してましたが、中森明菜さんは独自な世界で勝負!
この辺りが成功の秘訣ですね。
当時「スローモーション」は20位にも入らず、この「少女A」がヒットしてから脚光を浴びたような印象です。
「少女A」は、とにかくインパクトがあって、大ヒットの兆しが発売時からありました。
しかし、中森明菜さんがブレイクしたことは当時の芸能界では、全くの誤算だった様です。
扱いも大手事務所に所属していた堀ちえみさん、早見優さん、石川秀美さん達に比べ、低く見られてた印象があります。
明菜さんは、歌で勝負!
その辺りで他のアイドルと差別化に成功した様な気もしますね。
コメント by ベストテンマニア:K — 2007/12/18 火曜日 @ 22:21:27