「い・け・な・いルージュマジック」〜忌野清志郎+坂本龍一
「い・け・な・いルージュマジック」〜忌野清志郎+坂本龍一 最高3位(ベストテン内7週ランクイン)
忌野清志郎さんと坂本龍一さんによる異色のユニット!
この「い・け・な・いルージュマジック」でザ・ベストテン初登場!
1982年3月18日に8位で初登場。
最高3位。
10位以内に7週。
20位以内に11週。
1982年の年間40位。
1982/03/04 19位
1982/03/11 16位
1982/03/18 8位
1982/03/25 6位
1982/04/01 5位
1982/04/08 4位
1982/04/15 3位
1982/04/22 5位
1982/04/29 6位
1982/05/06 12位
1982/05/13 17位
オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(41.3万枚)
1982年の年間20位。
「い・け・な・いルージュマジック」は、1982年春の資生堂のキャンペーンソングとして、当時CMでガンガン流れました。
化粧品のタイアップは、当時のヒット曲の定番でもありました。
忌野清志郎さんと坂本龍一さんの異色のコラボレーションが当時大きな話題になり、この曲は大ヒット!
オリコンチャートでは、最高1位を記録。
忌野清志郎さんと言えば、当時は人気バンドのRCサクセションです。
「スローバラード」「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」辺りが代表曲です。
この頃は、まだマニアックな存在で、この「い・け・な・いルージュマジック」のヒットで一躍世に知られる存在となった様な気がします。
RCサクセションは、この直後に急激にブレイクし、同じ年の夏「サマーツアー」でザ・ベストテンに登場します。
そのRCサクセションの忌野清志郎さんが坂本龍一さんと初ユニットを組みました。
坂本龍一さんと言えば、当時はYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)が大ブームでした。
YMO(イエローマジックオーケストラ)は、80年代を代表するテクノバンド!
「テクノポリス」「ライディーン」など当時新しいテクノブームを作り上げた大きな存在です。
世界的にも有名ですね。
坂本龍一さんは、矢野顕子さんの「春先小紅」で、ザ・ベストテンにバックバンドとして登場済みです。
1983年には、YMOとして「君に、胸キュン。」が大ヒットし、ザ・ベストテンに登場します。
そんな二人のユニットが、1982年の春に大ヒット曲を発表!
「い・け・な・いルージュマジック」は、その斬新な曲と二人のPVが話題にもなりました。
PVでは、忌野清志郎さんと坂本龍一さんが札束を撒き散らしたり、二人でキスしたり、やりたい放題!
ザ・ベストテンにも1度だけ登場し、エキセントリックな演奏とパフォーマンスを披露!
特に忌野清志郎さんの弾けっぷりには、当時テレビを見ていた人たちは驚いたのでは?
登場直後の完全に舐めた様な態度には、当時驚かされました!
それに比べて坂本龍一さんは、おとなしく、いたってクール!
二人の対照的な登場に見ている方は引き込まれたに違いありません。
このユニットは、企画物で1度だけでした。
今考えても斬新なユニットです。
以下のブログランキングに参加してます。
人気blogランキングへ
にほんブログ村 音楽ブログ
忌野清志郎さんのプロフィール
1951年、4月2日生まれ。
1970年、RCサクセションとしてオムニバス盤に収録された「泥だらけの海」でデビューし、直後にシングル「宝くじは買わない」で単独デビュー。
1972年、シングル「ぼくの好きな先生」が話題になる。
1973年、井上陽水の「帰れない二人」を競作する。
1976年、シングル「スローバラード」が話題になり、アルバム「シングルマン」がマニアの間で名盤と言われるがヒットせずに廃盤になる。
1980年、「雨あがりの夜空に」「トランジスタ・ラジオ」などがヒットし、人気を得る。
1982年、坂本龍一とユニットを組み「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂のキャンペーンソングとして大ヒットする。直後RCサクセションとして「サマーツアー」が大ヒットする。
1988年、反戦・反核をテーマにしたカバーアルバム「COVERS」とシングル「ラブミー・テンダー」が急遽発売中止になるが、レコード会社を移籍して発売し大ヒットとなる。
1989年、ザ・タイマーズとして極秘プロジェクト開始。カップヌードルのCMソングとして「デイドリーム・ビリーバー」が大ヒットする。フジテレビの「ヒットスタジオR&N」にて、予定外の「FM東京のうた」(放送禁止の抗議の歌)を演奏し、FM東京事件として大きな話題になる。
1990年、RCサクセションは解散する。
以降、ソロとして活躍。
映画やテレビドラマにも出演し、活動の場を広げる。
1999年に、ロック風にアレンジされた「君が代」を収録したアルバム「冬の十字架」が、発売禁止になり、その後インディーズレーベルから発売された。
2006年7月13日、喉頭癌であることを発表。
2007年4月、ブルーノート東京でのザ・ブルースブラザーズ・バンドの来日公演において、サプライズゲストとして参加する。
坂本龍一さんのプロフィール
1952年、1月17日生まれ。
1975年、東京芸術大学院在学中にスタジオミュージシャンとしての音楽活動を開始。
その後、山下達郎や大瀧詠一、中島みゆきのアルバム制作に参加。
1978年、細野晴臣、高橋幸宏とともにYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を結成する。アルバム「千のナイフ」でソロデビューを果たす。
1979年、YMOとして世界的活動する。
1980年、アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」と「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が大ヒットを記録。テクノブームを作り上げる。ワールドツアーを実施する。
1981年、NHK-FMにて「サウンドストリート」のパーソナリティを務める。
1982年、忌野清志郎とユニットを組んで「い・け・な・いルージュマジック」を発売し大ヒットする。
1983年、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」では音楽を担当し、俳優として出演し大きな話題になる。YMOとして「君に、胸キュン。」がカネボウ化粧品の夏のキャンペーンソングになり大ヒットする。暮れにYMOは「散開」(解散)する。
1984年、矢野顕子らとMIDIレコードを設立。
1987年、世界的に有名なベルナルド・ベルトルッチ監督映画「ラストエンペラー」の音楽をデイヴィッド・バーン(トーキング・へっず)、コン・スーと共に担当しアカデミー賞の作曲賞を受賞する。俳優として甘粕正彦満映理事長役で出演する。
1993年、YMO「再生」(再結成)し東京ドームにて2日間だけのライブを行う。
1995年、ダウンタウンの変名音楽ユニット「GEISHA GIRLS」をプロデュース。
1999年、ピアノソロ曲「エナジー・フロー」を収録したマキシシングル「ウラBTTB」がミリオンセラーを記録。
以降も世界的なミュージシャンとして、更に文化人として大活躍を続けている。
トラックバック URI : http://bestten.cozy-info.com/archives/280/trackback/




