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2007/10/2 火曜日

「ラブレター」〜河合奈保子

Filed under: 河合奈保子, 1982年登場曲 — ベストテンマニア:K @ 23:31:52

「ラブレター」〜河合奈保子 最高6位(ベストテン内6週ランクイン)

河合奈保子さんの「ムーンライト・キッス」に続く、5曲目のザ・ベストテン登場曲です。
第一腰椎圧迫骨折事故後の復帰した直後のシングル曲でした。

1981年1月7日に10位で初登場。
最高6位。
10位以内に5週。
20位以内に9週。
1982年の年間60位。

1981/12/17    20位
1981/12/24    11位
1982/01/07     10位
1982/01/14     7位
1982/01/21     6位
1982/01/28     6位
1982/02/04     6位
1982/02/11    13位
1982/02/18    16位

オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高11位(21.2万枚)
1982年の年間61位。
河合奈保子さんはこの頃、オリコンシングルチャートでは11位どまりが多く、10位以内に入ったのはこの時点で「スマイル・フォー・ミー」 の1曲のみでした。

ムーンライト・キッス」では、ザ・ベストテンにランクイン中は第一腰椎圧迫骨折の事故の為に未出演でした。
ザ・ベストテンのスタジオ入りは、河合奈保子さんにとって久々でした。
(実際はザ・ベストテン200回記念に滑り込み出演しましたが!)
この頃は、衣装の下にコルセットを巻いていました。

「ラブレター」は引っ込み思案な少女を主人公にした片想いの曲。
河合奈保子さんの曲の中でも人気のある方です。

この「ラブレター」の時は、一緒に出演した同期で同じ大阪出身の柏原よしえ(芳恵)さんとの仲良し振りをアピール!
ナオナオ、ヨシヨシの愛称でお互い呼び合ってました。
この二人は、同時期に活躍し、お互いライバル的な存在でした。

この頃、河合奈保子さんはシングルセールス20万枚前後を確保し、1位を取るほどじゃ無いものの、シングルを出せば必ずベストテン入りする安定した人気を確保した頃です。
1982年も全ての曲がザ・ベストテン入りし、この後徐々にランクイン週数も伸ばし、最高順位も上がります。

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ザ・ベストテンにランクインした曲を全て紹介します!

8 Responses »


Comments

  1. CMソングでしたよね。

    うわ〜なんでしたっけ????

    チョコレート……いや、ヨーグルトでしたっけ??

    コメント by フレンチ(´ρ`)マン — 2007/10/3 水曜日 @ 1:17:33

  2. この曲当時CMソングでしたか?
    いまいち記憶にありません。

    河合奈保子さんは当時CMにもたくさん出演してましたね。

    コメント by ベストテンマニア:K — 2007/10/3 水曜日 @ 22:08:43

  3. ハウスのフルーチェのような気がしてきました。

    勘ですけど。

    コメント by フレンチ(´ρ`)マン — 2007/10/3 水曜日 @ 23:42:39

  4. こんにちは。
    事故をきっかけにファンになった私にとって、
    この曲がしっかりと奈保子ちゃんを見た最初でした。

    2001年に発売されたCD−BOXのブックレットで、
    当時のディレクターさんが語っているのですが、
    この曲は事故の入院中にレコーディングしていたのだそうです。
    (当時は「すでに録音済みだった」と発表していた)
    病院の裏口から抜け出して、コロムビアのスタジオでは
    エレベーターをスタッフで満員にして、
    帽子とマスクで顔を隠した奈保子ちゃんが乗り込んで、という具合でスタジオ入り。
    レコーディングも1曲歌うと30分ほど、休んでまた歌ったのだそうです。

    当時「元気になってよかったね!」と大喜びで見ていた私・・・。
    なんとのん気な新参ファンだったのでしょう。
    もしかしたら、そこまで無理したりさせたりしたのは、
    そんなファンのせいだったのかも?と思うと、なんとも複雑です。
    もしかして、あれだけきれいな人なのに、結婚が遅めだったのも
    何か後遺症があったのかなとも思いました。
    もちろん憶測です。(発表では後遺症はなしとなっています)

    ちなみにB面の曲は、ストック曲だそうです。

    コメント by NAYA — 2007/10/4 木曜日 @ 13:35:53

  5. 入院中にレコーディングですか?
    当時のことならありえますね。
    当時は、無理やり退院して、無理して再入院するタレントさんが多かったです。

    復帰も早すぎると思います。
    多分、河合奈保子さんも当時かなり無理してたと思います。

    コメント by ベストテンマニア:K — 2007/10/4 木曜日 @ 22:08:32

  6. >当時は、無理やり退院して、無理して再入院するタレントさんが多かったです。

    言われてみるとそうですね。
    松田聖子さんも超多忙スケジュールのせいで体調をくずしての入院が何回かありましたし、奈保子さんもこのケガ以外に、
    カゼをおして仕事したせいで肺炎とか胃腸炎とか。
    他にも入院とまではいかないにしても、
    コンサート後に倒れて点滴なんて、よくアイドルの人達はコメントしてました。
    今もアイドルさんは、そんなことあるのかなあ。。

    コメント by NAYA — 2007/10/6 土曜日 @ 16:19:01

  7. たしか病み上がり最初のこの曲でのテレビ出演は1981年11月30日放送お「夜のヒットスタジオ」でしたよね(ブログハーツとして出ているYou Tube動画のときのは1982年1月4日、新年第1回目の放送、そのためか彼女に限らず全出演歌手が着物姿で歌を披露しています)。

    たしか復帰最初のヒットスタジオでは、初めてOPメドレーのトリを務め(たしか「スマイル・フォー・ミー」を唄っていたと思います)、本編の「ラブレター」では100人を軽く超える親衛隊が階段セットの壇上にずらっと一列に横並びになって一斉に切れ目なく掛け声を出していて、なかなか見ていて壮観な構図でしたね。

    親衛隊の掛け声は時に歌を真剣に聞きたいと思っているファンからすれば「邪魔」なものでしかないことが多い(渋谷公会堂でやっていたトップテンはとくに「邪魔」に感じることが多かったです)ですが、夜ヒットは観客を入れないでやる番組であったためか、逆にこういう親衛隊のコールが新鮮に移ったり、「感動」というものを巧く助長させるエッセンスにもなっていたような気がします。ベストテンなんかもそういえば時折、女性アイドル歌手が1位を獲得したりすると、ファンを招待して同じような演出で歌を披露させるようなことが多かったですよね(小泉今日子の「なんてったってアイドル」のときなんかは印象に残ってます)。

    コメント by resistance-k — 2007/10/7 日曜日 @ 15:37:55

  8. NAYAさんへ
    この頃のアイドル達は過密スケジュールが当たり前の時代でしたね。
    睡眠時間がほとんど取れない状態だったとか!
    今は、そんなことも無いと思います。
    あまり過労でダウンする話は聞かなくなりました。

    resistance-kさんへ
    夜ヒット1981年11月30日の放送は生で見てました。
    河合奈保子さんは、OPメドレーのトリでしたね。
    これが復帰でした。
    ベストテンでもファンをスタジオに入れて、大盛り上がりがありました。
    最初は西城秀樹さんの「ヤングマン」だったと思います。
    意外にも山本譲治さんもありましたが!

    コメント by ベストテンマニア:K — 2007/10/7 日曜日 @ 22:21:17

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