「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦
「スニーカーぶる〜す」〜近藤真彦 最高1位4週(ベストテン内13週ランクイン)
たのきんトリオの近藤真彦さんの初登場。
ライバル田原俊彦さんに続いての登場!
この「スニーカーぶる〜す」でデビューし、ミリオンヒット!
1980年12月25日に3位でいきなりの初登場。
最高1位が4週。
10位以内に13週。
20位以内に15週。
1981年の年間9位。
1980/12/25 3位
1981/01/08 2位
1981/01/15 1位
1981/01/22 1位
1981/01/29 1位
1981/02/05 1位
1981/02/12 2位
1981/02/19 3位
1981/02/26 3位
1981/03/05 2位
1981/03/12 3位
1981/03/19 4位
1981/03/26 9位
1981/04/02 11位
1981/04/09 19位
オリコンチャート(レコード売り上げ)では、最高1位(104.7万枚)。
1981年の年間3位でした。
この曲での売り上げ104.7万枚は、近藤真彦さん自己最高記録です。
近藤真彦さんは、マッチの愛称で80年代を駆け抜けた男性アイドル。
田原俊彦さんと共にTBSドラマ「3年B組金八先生」に生徒役で人気者になりました。
1980年に、たのきんトリオとして一世風靡し、このデビュー曲の「スニーカーぶる〜す」が初の大ヒット曲です。
近藤真彦さんは、当時から毒舌なトークが話題となってました。
相手が先輩であろうとどんな大御所であろうと、言いたいことを言ってしまう発言者でもありました。
そんなイメージから生意気とのレッテルもよく貼られることも多かったです。
この「スニーカーぶる〜す」は、失恋の曲でした。
デビュー曲が、マイナーな失恋歌なのも、当時としては、斬新だった様です。
それが、この曲のヒットを押し上げた要因でもあると思います。
近藤真彦さんは、当時流行ったツナギで登場。
スタンドマイクを使い、この曲を歌いました。
ザ・ベストテンには、1980年の最後の放送の12月25日に初出演。
いきなり3位での初登場で、新人としては当時異例のことでした。
歌手デビューの前に、たのきんトリオとしてブーム的な人気を誇り、正に鳴り物入りでのレコードデビューでした。
近藤真彦さんは、その後もザ・ベストテンの常連となり、特に1980年〜1981に出したシングルは全て50万枚以上の大ヒットを記録。
ザ・ベストテンでも1980年〜1983年まで、1位の常連となりました。
「スニーカーぶる〜す」「ヨコハマ・チーク」「ブルージーンズメモリー」「ギンギラギンにさりげなく」「情熱・熱風・せれなーで」「ふられてBANZAI」「ハイティーン・ブギ」「ホレたぜ!乾杯」「ミッドナイト・ステーション」「真夏の一秒」「ためいきロ・カ・ビ・リー」「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」「一番野郎」「ケジメなさい」「永遠に秘密さ」「ヨイショッ!」「夢絆」「大将」「純情物語」「青春」「Baby Rose」「愚か者」「さすらい」「泣いてみりゃいいじゃん」「Made in Japan」「あぁ、グッと」「夕焼けの歌」「Just For You」 の計28曲ザ・ベストテンにランクインしました。
その内、13曲が1位を獲得しました。
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近藤真彦さんのプロフィール
1964年7月19日生まれ。
1979年、10月放送開始のTBSのドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビュー。
1980年、田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手デビュー。
1981年、出す曲全て大ヒット。「ギンギラギンにさりげなく」でレコード大賞最優秀新人賞を受賞。紅白歌合戦に初出場。
1982年、前年に引き続き、ヒット曲を連発し、トップアイドルとしての不動の人気を得る。
1984年、芸能活動とは別にカーレーサーとしても活動を開始する。
1987年、「愚か者」でレコード大賞を受賞。
1988年、カーレーサーとして全日本F3選手権に参戦。
1989年、7月に中森明菜、松田聖子との三角関係のもつれから、当時の恋人であった中森が近藤の自宅マンションにおいて自殺未遂事件を起こす、というスキャンダルに巻き込まれる。以降、人気が低迷し表舞台から遠ざかる。
1996年、「ミッドナイトシャッフル」が久々の大ヒットを記録し、紅白歌合戦に再出場。
2005年、デビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリースし、芸能界への復帰を宣言。歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した。
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たのきんの「きん」の登場ですね
「の」の人は早々に水をあけられてしまいますが…
当時彼らのファンは「トシちゃん派」「マッチ派」に分かれました
もちろんどちらも好きな人がほとんどでしたが
おそらくはこれまた業界仕掛け人のおかげで
「トシちゃんは○○」「マッチは××」と雑誌等で取り上げられ
我々も話題に事欠かなかったものです
ちなみに私はマッチ派でした
トシちゃんに負けず劣らずマッチも
決して歌唱力は十分とは言えませんでした
しかしこの人はまるで
「音楽の時間に一生懸命声を張り上げる小学男子児童」
のようなひたむきさで勝負していました
トシちゃんがどちらかというとスタイル重視の歌で売り出したのに対し
マッチはドラマ仕立ての歌を多く出したのも
本記事にあるようなマッチの性格を事務所が十二分に理解して
活かした結果であり、そして大成功に繋がったということでしょう
コメント by ぷらだ — 2007/7/24 火曜日 @ 23:33:29
この頃のマッチの人気は、凄かったですね。
確かに声を張り上げる!
そんな感じでした。
曲調も絶叫するタイプのものが多かったです。
トシちゃんとのイメージの違いが、やはりこの頃トップアイドルとして共存出来た要因でしょうね。
コメント by ベストテンマニア:K — 2007/7/25 水曜日 @ 21:55:23